大学生活で得た学び
とにもかくにも、大学生活というのは人生で最も豊かな時代の一つだったと思います。 青春ならではの葛藤もありましたが、その苦しさにも意味があり、こんなにも自由に自分の可能性を広げられる期間がいかに貴重だったかを思い知ります。そして、たくさんの時間が与えられ、興味の赴くままにいくらでも学びを深められる自由は、とても尊いものです。会社員生活が始まると、ようやく実感を伴って理解できました。
もちろん、人生というのは学びに満ちあふれています。それは学術的な狭義の学びには限りません。人格、人間関係の築き方、社会のあり方、仕事との向き合い方。自分が完璧な人間になることはないので、常に学びが必要です。会社員生活では、大学の延長にありながらも、また違った種類の成長を感じることができます。
しかし確かなことは、大学は教育機関なので、学生が学びを得ることが明確な目的の1つに組み込まれているということです。教員は学生の学びを導いてくれますし、学生が主体的に求めれば得ることのできる学習機会やリソースが溢れています。そして構成員全体が、「貪欲に学ぼう、互いに学びを与えよう」という意識を共有しています。
人生を振り返ったときに、最も学びがあったのはこうしたキャンパスで過ごした期間だったと思い出すでしょう。成人をまたぐ7年間という、人格が緩やかに固まりつつ、多感で柔軟な頭が残されていた年齢であることも加わって。
そういったノスタルジーからも、大学学部・大学院修士課程で学んだことを改めて書き残しておこうと思い至りました。なぜ今になったのかは単純で、書こうとしていたネタだけ箇条書きにして、2年間放置してしまっていたからです。とはいえ、大学院卒業後に会社員として働く中で整理された部分もあるので、それも補足しながら書ければと思います。

学び方を学ぶ
高校までの初等・中等教育までは、教科書を「理解する」ということが求められていた気がします。テストはアウトプットではなく、その理解力を測るためのものでしかありませんでした。 しかし、大学という高等教育以上で身につけるべきは、実世界に沿った「知」です。これは決して実学主義のみを意味しません。基礎科学にしろ応用的な分野にしろ、人間が人間のために作った教科書の枠を超えていく必要があるということです。
東大では、入学後に2年間教養学部に所属し、リベラルアーツ教育を施されます。多様な学問に触れ、基礎的で普遍的な学力を身につけ、その後の専門課程の学びに生かすことが期待されます。 とはいえ、その意図と意義を初めから理解し、教養を深めて進むべき道を探索することができる学生は少ないと思います。最低限、受験勉強という型にはまった勉強に染まってしまった学生に、「これからの学びの世界はそうではない」というメッセージを与えるための猶予の2年間なのかもしれません。確かに、いろいろな分野の講義をつまみ食いすると、今までの勉強がいかに画一的だったかを思い知りました。そして、これまでの勉強への向き合い方を転換しなくてはいけないと気づいたのです。
ネットサーフィン的学習
大学受験で問われる、いわゆる学習指導要領に規定されている範囲というものは、ものすごく狭いです。また、文科省が作った教科書は非常によくできており、学習すべきことが過不足なく体系的に記述されています。すなわち、基本的には前から一方向的に読んでいくことで、理解できない点は生まれないようにできています。
しかし、世の中にある学術書のすべてがそのようにできているわけではありません。教科書の目的は読み手に対象を体系的に理解させることですが、学術書は正確な記述によって学術論を展開することが目的だからです。必ずしも読み手が理解しやすいように書かれているわけではありません。読み手を意識して、いわゆる「天下り的に」論理展開をしてくれるものもありますが、大抵はそうではありません。
僕はまず、このギャップに苦しみました。そして、このような本に挑むためには、前からお行儀よく読み進めていくのではダメで、自分の理解したい部分にまず飛びついてみて、わからない部分があればその都度前に戻っていく、といった読み方をする必要があることを学びました。
これは、いわばネットサーフィンと同じ行為です。そして、この「ネットサーフィン的学習」は1つの学術書の読み方に限った話ではなく、勉強そのものに通じる方法論だと思います。
大学で学ぶべき本来の学問とは、教科書の枠などなく無限に広がっていくものです。自分の専攻に絞ったとしても、学ばなくてはいけないことが無限に広がっており、到底4年間では学びきれないことに気づくはずです。このような現実を前に、すべての事柄を一から完璧に理解していくことは量的に不可能です。途中で重要なポイントを見失ってしまうことにも陥りかねません。必要に応じて、学ばなければいけない小中規模のトピックを据え、そのトピックに関連することをトップダウン的に学習していくほうが、はるかに効率的かつ効果的であると言えます。(例えば、「ロボットのプランニング」を理解するためには探索アルゴリズムを理解する必要があり、そのためにはBFTやDFTなどのデータ構造についても知らなくてはいけません。)
また、そもそも学ぶ対象自体が、これから体系を確立していくような「知」であるため、質的にもネットサーフィン的な学習をするしかないという特性があります。
関心のある事柄をググってみて、そのサイトの中でわからないことがあれば枝分かれしながらたどっていく。リンゴの実を見つけたらその木に飛び移って、周辺の枝を歩き回ってみる。しばらくしたら、遠く離れた別の木に飛び移ってみる。そうしているうちに森全体の様子がわかるようになるのが、本来の学びの姿なのかもしれません。
しかし、俯瞰的な視点も忘れてはいけません。さもなければ「木を見て森を見ず」となってしまい、一箇所の木の集合のみが見えるだけで、全体像が見えることはありません。その鳥瞰図にあたるものとして、分野の総括的な論文や、参考書の目次に目を通す必要があります。
大学から与えられるそれは、学科のカリキュラムになります。 その意味で、後から振り返ると所属学科のカリキュラムはよく構成されていたと思います。学生の自分は「最新のトピックが含まれておらず、やや時代遅れだな」と感じていましたが、あくまで必修科目は基本となる「地図」に過ぎませんでした。その後の学び方は学生の自由であり、その方向性と原動力となるのは個々人の好奇心です。
この考えは、僕の指導教官であった稲葉先生の「ロボットシステム」という講義について、別の先生に愚痴をこぼしているうちに出てきました。その講義は、ロボティクスを構成するあらゆる事柄をひたすらに説明していくという内容でした。ロボティクスは技術の総合格闘技と呼ばれるくらい学際的ですから、機械部品の詳細から、コンピュータアーキテクチャの仕組み、行動計画の代表的な手法の紹介、ヒューマノイドロボットの全身制御システム、学習理論など、まさにオムニバス形式になっていました。講義資料は、お世辞にも体系的にまとめられているとは言えず、稲葉先生の数十年の資料が蓄積した「秘伝のタレ」のようになっており、合計1000スライド超え。それを先生が楽しそうに紹介し、期末テストは全範囲から満遍なく出題されるという鬼畜の内容でした。
「あの授業、完全に稲葉先生の趣味ですよね(笑)。すごく苦労しました。テストの過去問を見ても文字通り満遍なく出題されているし」
「毎年学生がそう言ってくるんだよ(笑)。村上くんはどうやって勉強した?」
「全スライドの内容を復習するのは無理だと諦めて、興味のあるスライドを中心に勉強しました」
「もしかしたら、それが稲葉先生の狙いかもね。東大生は高得点を取るために、勝手に重要度の濃淡を汲み取って勉強しちゃうんだよね。でもあの資料を目の前にしたら流石に諦める。そのときに学生は、初めて自分の興味のある内容から順番をつける。研究では、世の中的に重要と言われていることではなく、各研究者が自分の興味を突き詰めないといけない。もちろん、半分は先生の趣味だと思うけど(笑)」
ご本人に聞いてみないとわかりませんが、とにかく僕らが挑むべき分野の広大さに絶望させ、その上で自然に興味の持てる分野を見つけさせる、という意図があったのかもしれません。
思うに、知識体系というものは物語的に順序よく形成されていくのではなく、並列的に小さな体系が形成されるにつれて隣接した体系同士が関連をもつようになり、結果として大きな体系として完成されるのではないかと思います。1つ1つの木が同時発生的に生育し、大きな森となるようなイメージです。おそらく、その1つ1つの木に相当するものが「教養」なのではないでしょうか。それを駆動するのは、研究者たちの多様な好奇心に他なりません。
未知への心構え
大学は、未知との遭遇にあふれた場所です。圧倒的な学問の広がりを感じさせてくれますし、その学問を探求することを後押しする制度が充実しています。集う人々も、今のところはペーパー試験以外でフィルタリングされていないので、「デザインされていない多様性」を包摂しています。
知能的、精神的な成長とは、自分が持ち合わせていない知識や価値観を獲得することです。つまりは未知を開拓し、その摩擦を享受することでしか得られないものだと言えます。
未知の開拓の仕方は2種類あると考えます。
1つは、現在の自分が獲得している領域をじわじわと広げていく方法です。勉強を進めていると、次にどのような本を読めばいいのかが見えてきます。ネットサーフィンの例になぞらえると、サイト内のわからない単語を調べにいったり、関連するサイトにアクセスしたりするようなものです。自分の価値観や特性を省みて、どんな経験が糧になるかを考えて行動することも、これに該当します。基本的には、このやり方で前進することが堅実です。「学問に王道なし」は真です。
対して、少し意識的に行う必要があるが重要なのが、今いる領域の枠を飛び出して、新たな領域に飛び移ってみるということです。別ジャンルのサイトをブラウジングするように、図書館でふいに目に入った本を手に取って読み進めたり、試しに他学科の講義を受けてみたりすることです。あえて段階を飛ばして、今の自分のレベルでは負荷が高い挑戦をしてみる、というのもこの類です。
この方法にはいくつかの効能があります。 1つには、そうすることで理解が一気に前進することがあります。ある科目の理解に長く苦しんでいたが、あるとき別の科目で学んだことがアナロジーとして効いてきて、急にストンと理解できた、という経験をしたことがある人は多いのではないでしょうか。異なる分野といっても独立しているわけではなく、共通の概念が存在していたり、そもそも同一の原理に立脚していたりするので、このような現象が起きるのは不思議ではありません。
また、異なる領域の知識を掛け合わせることで、新たな独自領域が生み出されることがあります。学際的な分野というのは、まさにこれを狙いとしています。
さらに、遠くにある未知の世界に飛び込んでみるという経験の過程が、メタな視点を与えるという意味で人間的な成長を与えてくれることがあります。遠くにある未知に触れたとき、今の自分が蓄えている前提との差分が強烈に意識されます。いわば自分の常識が揺るがされます。人間は感情の生き物ですから、大きくショックを受けることによって初めて、今まで自分が絶対視していた知識体系や価値観を疑う姿勢を持つことができます。その結果、メタな知見や価値観を得ることができるのです。
これらはどれをとっても、不連続的な成長です。
自分にとっては、UC Berkeleyに留学した1年間がそれにあたりました。専攻と異なる分野に踏み込んでみたり、異文化での振る舞い方を試行錯誤したり、四六時中、英語のコミュニケーションにさらされてストレスが溜まったり。俗にいう、「コンフォートゾーンを出る」という経験だったと思います。未知の環境と自分との摩擦が大きかった分、確実に自分を成長させてくれました。そのことは、過去のブログに記しています。
2つの方法論はどちらも重要で、片方に偏っていいわけではありません。 軸足を定め、関連性のある知恵を順番に取り入れていったほうが、はるかに効率的です。応用を得るためには徹底的に基礎を身につける必要があり、それを怠ってはいけません。 ただ、それを続けるだけではどこか行き詰まります。また、飛躍的な成長は見込めません。そこで、思い切って枠を飛び出し、新たな刺激を得る必要があります。 しかし、闇雲に飛び回るだけになってはいけません。ある程度1つの領域に留まって鍛錬をしないと、いつまでも専門性が身につきません。常に「自分に合う分野はないか」と彷徨う、ジョブホッパーのような状態になってしまいます。
地に足を着けて手を動かし、少しずつ自分の幅を広げることを基本とし、たまにはジャンプをして新しい世界に刺激を求める、といった具合が適切でしょう。このようなバランス感覚を可能にするのが、自己理解とメタ認知能力です。自分の状態に合わせたバランス調整が必要で、誰かが明確な指示をしてくれるわけではありません。幸いなことに大学生活には、徹底的に自己と対話をする訓練を積むための十分な時間がありました。
そしてさらに、大前提として持ち合わせていなくてはならないものがあります。それは、未知に対してオープンな心構えです。そもそも、未知を受け入れ楽しむ姿勢が欠けていれば、その上に何を塗っても無意味です。大学生活で多くの秀才に出会いましたが、好奇心のままに没頭している人間が、誰よりも遠くに進んでいました。
自身を振り返ったとき、未知に対するオープンネスを阻む感情として何を経験したでしょうか。逆説的に言えば、人間の根源には未知に対する好奇心が備わっているので、それらの阻害要因を認識し、対処できればよいはずです。
1つは、もう自分が十分に多くの事柄を知っているはずという「慢心や驕り」です。「無知の知」という言葉がありますが、未知を謙虚に認める姿勢を失ってしまっては、新たな知識を追い求める原動力が消えてしまいます。謙虚でない人間には、周りの人間も好意的に物事を教えようとは思わなくなります。
また別に立ちはだかるのは、新しい物事を一から学ぼうとすることに対する「億劫さ」です。新しい概念や理論を理解するのは簡単ではありません。特に学問が高度化するごとに難解な概念が増え、理解できるまでに時間がかかるようになります。僕も、理系学生あるあるだとは思いますが、入学後のε-δ論法でいきなり挫折しました。これに対しては、先に述べた「ネットサーフィン的な学習」でよくて、「わからない事象があったら一旦飛ばして後から戻ってきてもいい」ということを心の拠り所にしておくことが有効です。
新しい物事や価値観を知ったときに、今までの自分を否定されたような感覚に陥ることがあります。それに対する恐怖心は厄介です。新たな知見を得たとき、自分の世界が広がったことを純粋に喜べることもありますが、自分が信じていたものが揺るがされ、瞬間的に反発を覚えてしまうことがあります。人間には、自分に都合の良い情報ばかりを集めて信じ、都合の悪い情報は無視する心理的傾向があります。これは「確証バイアス」と呼ばれます。この傾向が強ければ、情報を客観的に受け入れることができません。この事実を、メタに認識しておくことが重要です。いかに賢い人間であっても、その認知バイアスからは逃れられません。放っておいたら、このバイアスが強化されます。それを常に念頭に置いた上で、自分に対して批判的思考(クリティカル・シンキング)を反芻する習慣をつける必要があります。今自分に入ってきた知見を、自分は客観的に理解できているかを常に疑いつづける練習をすることです。批判的思考は、あらゆる科学の基盤でもあります。
最後にもう1つ、自分が強く縛られていたと感じるのは、新しい物事に取り組むときに「それが正しい方向性を向いているのだろうか」という不安感です。大学に入ると、学ぶべき事柄や方向性を明確に指示されず、自由を与えられます。そうすると、明確な目標や進路が固まっていなかった僕のような人間は、とりあえず何かに手を出してみるのですが、これが正しいのかという不安がつきまといます。周りには明確な将来像に向けて一直線に進んでいる学生も多く、焦燥感にも駆られます。
自分が早く「何者」かになりたくて、最短ルートで何かを習得したい。そのために変な回り道をして時間を無駄にしたくない。何かを習熟するのには「正解」の方法があって、それ以外を進むことは「無駄」で「失敗」である、といった強迫観念があった気がします。 このように、コスパやタイパを重視するのはZ世代の典型的な特徴として語られます。(1998年生まれの自分は、定義によってはZ世代古参を名乗ってもいいそうです。)
少し話が逸れますが、数年前にある大学近くの牛丼屋で、隣に座った学生さんに話しかけられました。
「お兄さん、この辺に住んでるんですか? 僕、大学で仲間集めてイベント運営やってるんですけど、もしよかったら来てくれませんか?」
仲間集めてイベント運営という響きも、いきなり隣の客を勧誘できる感じも、青春の香りがしてとても羨ましく思いました。しかし、しばらく話を聞いていると、
「就活だと、ガクチカって聞かれたりするじゃないっすか。僕みたいな大学生だと、こういうのしといた方がいいんじゃないかと思ってやってるんすよね」
という発言に、勝手に寂しさを感じてしまいました。
彼個人に対しては、葛藤がありながらも行動に移していて立派だなと思います。しかし、学生にそう思わせる社会になってしまっていないか、と悲しく思ったわけです。自由に可能性を模索していいはずなのに、短期的な将来に「なんとなく役に立ちそうな正解」に見えるから、といった具合では味気ないです。損得勘定なんて抜きにして身につけた個性こそが実社会で生かされる、という風潮が広く知れ渡り、若者の自由を受け入れられるくらいの経済的、文化的な余裕のある社会であるべきです。
ということを、今になったから思いますが、学生時代の自分も似たような気持ちを持っていたから妙に共感できたわけです。学科の必修科目をただこなしていくだけでいいのだろうか、周りとは違う何かを手にしなくてはいけないのではないか、と。
そんな不安を一気に打開したい気持ちもあって留学に行こうと思い立ちましたが、そう決断してからもウジウジと悩んでいた気がします。もちろん、親に相当な金銭的負担をかけさせるわけですから、それに見合ったリターンが得られるかを考えるのは当たり前です。しかし、一度決めた選択に対して葛藤を抱き続けるのは無意味です。
今になって気づくのは、「自分が知らないものに対して、自分がその意味を見いだせる」という前提が大間違いだったということです。原理的に、未知なものは未知であるがゆえに、その価値が測れないのです。自分でその正体がわからないからこそ、未知なのです。
自分で測れないなら、今度は他人に正解を貰いたくなります。ただ、ここにも注意点があります。 もちろん、信頼できる人のアドバイスは素直に聞いたほうがいい場合が多いです。教員は基本的に指導学生を正しい方向に導いてくれようとしてくれます。僕もその恩に大変感謝しています。年を重ねるごとに面倒を見てくれる指導役は減っていくように思えますが、会社にも尊敬すべき上司はいるし、人生には常に先人たちがいます。過去の偉人からの教訓を学ぶこともできます。
しかし、親身にアドバイスをくれる人も、正解をくれるわけではありません。いくら親身になってくれていたとしても、僕自身の状態のすべてを把握してくれているわけではないからです。だから、最終的にそのアドバイスの価値を判断するのも自分なのです。 そうなると同じ問題が生じます。行き詰まった自分に本当に有益な助言は、自分が思考できていた枠の外側にあるので、その価値がわからないはずなのです。即座に納得できるなら、実は自分が暗に想定していた回答で、安心感を得ただけかもしれません。確証バイアスに陥っている可能性も疑ったほうがいいです。
つまるところ、何事も取り組む前にはその価値がわからないということです。 そして、取り組んだ後には、その道の価値はわかったとしても、「他の道に進んだ場合の価値」は観測できないままです。だから、別の道を選ばなかったことを客観的に後悔することはあり得ないと断定できます。 その意味で、究極的には正解もないし、回り道もないということです。現実問題、回り道したなと思う出来事はあります。他の人を見て、明らかに努力の方向性を間違えていると言いたくなるときもあります。でもそれは些細な寄り道程度であって、あまりにも大きく方向性を外さなければ大丈夫です。
大きく方向性を間違えたと感じるとしたら、自分の価値観に真っすぐ向き合わない意思決定をした場合だと思います。僕の場合は「こうしたら周りに褒められるだろう」とか「なんとなく将来に役に立ちそう」とかがこれに相当します。ただ、それが当人の価値観であれば問題ないです。だから、牛丼屋の彼に抱いた感情は僕の価値観で測ったものに過ぎません。 それでも得るものがあるというのがここまで述べた趣旨ですが、代わりに失ってしまう時間と若さという資産はあまりに貴重なので、それは後悔を生むかもしれません。 だから、自分の価値観に基づいた判断軸を持っておくのは大事だと気づきました。
僕にとって、意思決定の1つの指針となっているのは、指導教員補佐の先生から受けた「やりたいことと、向いていることで迷ったら、君は向いていることを選択したほうがいい」というアドバイスです。物事を「やりたい度」と「向いている度」で測ったとき、両方を満たせているのが理想的です。問題となるのは、「やりたいが向いていないこと」と「向いているがやりたくないこと」のどちらを選ぶかで、僕の場合は後者に優先度を置いたほうがいいということです。
僕はどうやら、他人にどう思われていようと自分の好きなことを突き詰められる人間ではないことが、経験からわかってきました。逆に、自分が得意なことを徐々に好きになっていくことも多かったです。それは、良く言えば「誰かの役に立っていたい」、有り体に言えば「誰かから認められていたい」という自分の欲求から来ていることを理解できました。それは紛れもない自分の価値観です。だから、向いていると思えることをやっていたほうが幸せだし、「やりたくて向いている」という理想状態に近づきやすいのです。 向いているという評価には、一定数他人からの視点が含まれています。だから、他人からのアドバイスを取り入れられていて、大きな方向性を外さないという「守り」の利点もあると思います。
大学に入学したとき初めに思い描いていたのとは違う道に進んでいる気がします。だけど、そのどれもが周りの人からの影響を受けて、周りの人の中で役割を与えられて、それが自分の中にあった価値観や適正と混じり合うことで決まっていたものです。
それを肯定してくれる、僕が好きなMr. Childrenの歌詞を引用しましょう。
今 僕のいる場所が 探してたのと違っても 間違いじゃない きっと答えは一つじゃない (Any)
素敵な偶然性による成長を愛するということが、人生を楽しむことなのではないでしょうか。
国語力
具体的に身につけられた知識や能力は何でしょうか。専攻の専門知識や技能は言うまでもないので、ここで敢えて挙げるとしたら、俗にいう「国語力」があります。
より具体的には、論理的で正確な文章を書く能力です。それまで、文章を書くことを高度なスキルだと認識したことはありませんでした。文章には日々触れているのだから、特別な訓練など必要なく当たり前に書けるものだと思っていましたし、自分には平均以上の能力が身についているものだと過信していました。
しかし、研究室に所属してから特に、その重要さに気づかされ、明確に鍛えられたと感じます。論文には、その概要を端的に表すアブストラクトというセクションがあります。査読者はここを読んで採択の可否を判断するため、その執筆には厳しい添削が入ります。 僕は初め、単なる要約ぐらいにしか捉えておらず、力を抜いて執筆したものを提出したら、多くの添削が返ってきました。 しかし、もらうフィードバックはすべて的確です。それを直すのは難しく、ある指摘を直そうとすると他の部分に矛盾が生じ、整合性を取ろうとすると文章全体の構造を抜本的に見直す必要が出てきます。そうしているうちに、初見の人が理解できない文章になってしまい、また一から考え直す。結局、合格点がもらえる文章を完成させるまでに、何十回と推敲を重ねる必要がありました。
そこでようやく気づいたのが、論理的な文章を書くことは思った以上に難しく、それなりの訓練が必要だということです。そう認識してから改めて学部時代のレポートを振り返ると、ひどいくらい支離滅裂な文章を書いていました。確かに留学先で英語のレポートを書く際にも難しさを感じていましたが、今思えばそれは言語の壁以前に、論理を構築する能力そのものの問題だったのだと思います。
よくよく考えると、私たちは論理性のある文章作成の訓練を十分に受けていません。 日本の国語教育では、「作者の気持ちを考えましょう」といった情緒的な読解が重視されます。それも文化教育としては重要ですが、もう少しアカデミックな文章作成能力に比重を置いても良いのではないかと感じます。例えばアメリカでは、初等教育から論理構成を「型」として学び、大学にもライティング専門の授業があります。日本では提出したレポートに添削がなされず、評価のみが返ってくるのが一般的です。良くも悪くもなんでもアメリカの後追いをしようとする日本なのですから、この部分こそ見習ったらよいのではないでしょうか。
むしろ研究者こそ、高度な国語力が必要です。研究の価値を伝える最終的な媒体は論文という「文章」だからです。アブストラクトや申請書などは特にシビアで、極めて限られた言葉で読み手に誤解なく価値を伝えなければなりません。そのためには、意味を正確に表し、簡潔であり、平易過ぎず難解過ぎない語彙を選び、それらを適切に並べていく必要があります。これは明らかに高度なスキルでしょう。
学会発表などのプレゼンテーションも同様です。驚いたのは、先輩たちがプレゼン資料の作成に、物凄い時間と労力をかけていたことです。僕も最初のプレゼン資料作成、すなわち卒業研究の中間試問の前には、その指導に丸3日ほどかけられました。 それまで僕の中のプレゼンのイメージは、営業職やクリエイティブ職が、いかに聴衆の目を惹きつけ、感性に訴えかけるかというものでした。良い資料とは、色使いが洗練され、アニメーションが凝っているものだと思い込んでいました。研究者はそうした資料作りには無頓着で、軽視しているという先入観すら抱いていました。
しかし、実際は違います。研究におけるプレゼン資料作りとは、情報の提示順序を考え直し、読み手に正確に情報を伝える論理を再構築するものだと悟ったのです。スライド内に表記する文章は簡潔か、情報の粒度が揃っているか、スライドの順番が適切で全体を通して論理構成が明確になっているか。これには、推敲を重ねる必要があります。色使いやレイアウトの美しさは、些末な問題、あるいは最後に整えるべき作法に過ぎません。
よく「発表直前にスライドを作った」と豪語する人がいますが、それは十分な訓練を積みきった、あるいは忙しすぎる大御所にのみ許される特権のようなものです。それは学生が「一夜漬けで勉強して高得点が取れた」と言うのと同じで、少なくとも学生が真に受けて良いものではありません。そのプロフェッショナルな意識を持てたことも、大学院生活で得た大きな収穫の1つです。
研究室には「cdrしてreverseしろ」という独特な教えがありました。cdr(クダー)やreverse(リバース)というのは、僕の研究室でよく使われていたLispというプログラミング言語の演算子です。リストの先頭を取り除くのがcdrで、順序を反転させるのがreverseです。
(reverse (cdr '(A B C D)))→ 結果は(D C B)
要するに、「作った資料の1枚目(背景)を消して、残りのスライドを逆順にしろ」という教訓です。大抵の学生は背景の説明が過剰になりがちですが、聞き手は早く本題を知りたがっています。スライド1枚で表せるくらい、研究の内容から適切な距離で背景を切り取ることも重要なスキルです。また、学生は「結論」をスライドの最後に隠しがちです。これは自分の主張に対する自信のなさの表れです。ひどいときには、まとめのスライドになって初めて核心が書かれていたりします。結論として「解くべき課題」と「それに対する提案」がビシッと主張できていれば、極端な話、それを1枚目のスライドに持ってきても違和感がないはずです。逆にそれができないのであれば、論理が煮詰まっていないのかもしれません。 暦本純一先生の言葉を借りれば、「適切なclaim(主張)が設定できていない」ということになります。
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こうした本質的な教訓のおかげで、指導教員補佐の先生には「誰よりも文章力が伸びたね」と言っていただけましたし、会社でも文章やスライドの構成を褒められる機会が増えました。
そして、この論理的な文章を書く能力と隣接して存在しているのが、「図を描く能力」です。
スライドには図が不可欠であり、そこでは「何をどう描くか」という抽象化が求められます。僕の研究室では、自分の研究と先行研究を比較する際、二次元の座標にマッピングした図をよく用います。ここで最も重要なのが「軸」の選択です。フェアでありながら、自身の研究の優位性、すなわち主張(claim)を最大限に表現できるメトリックは何か、というのは非常に難しい問題です。また、提案システムの構成図を描く際にも、どの粒度で要素を区切り、どう構造化するかは常に悩ましい点でした。この「情報の切り出し方」については、学生時代に徹底的に叩き込まれました。
会社で出会った僕の上司も、常にノートを持ち歩いては、複雑な事象を瞬時に図解する人です。
「ちょっと雑でいいから一旦登場人物を関係図にしてみようか。そうすると何が単一障害点になっているかわかるから」
「村上くん、プロセスフローダイアグラムって知ってる? プロセスと成果物が表現されてるんだけど、パワポ使って配置の最適解を探っていると、重要な処理の塊と削るべきものが見えてくるんだよ。こういう複雑なアーキテクチャ設計には向いてる。一回図に書いてみよう」
上司から学んだのは、図は単なる説明資料ではなく、思考を整理するための「設計図」であるということです。ソフトウェア設計で使うシーケンス図、クラス図、状態遷移図なども、それぞれに情報の切り取り方の良し悪しがあります。
図というのは、いわば「データ構造とアルゴリズム(Data Structures and Algorithms)」を表したものだと思います。そして、計算機科学を学ぶ上で避けては通れない最も重要な科目の1つに、これがあります。この事実と、「計算機科学とは、広義には情報をいかに整理して、解決へと導くかという学問である」という側面を合わせて考えると、合点がいくものがあります。 つまり、複雑な物事をどの単位で切り出して(データ構造)、どの順序でつないでいくか(アルゴリズム)。適切に図を描くという行為は、単なる「説明のテクニック」ではなく、頭の中にある情報を整理して、解決できる形に整えるという、知能の本質的な部分を担っているのだと思います。
こうして振り返ってみると、一見別物に見える「論理的な文章を書くこと」と「適切に図を描くこと」は、やはり一続きのもののように思えます。 大学院で文章を練り、図を描き続けた時間は、結局のところ、こうした「情報の扱い方」そのものを専門分野を通してじっくりと鍛え直す時間だったのだと思います。
問いの立て方
もう一つ、研究を通じて具体的に身につけられた汎用的なスキルは「問いの立て方」です。これは研究者になろうとも技術者になろうとも、はたまた全く別の分野に進もうとも、非常に役に立つスキルセットだと思います。 では、適切な「問い」とはどのように立てるべきなのでしょうか。
「研究意義はあとからついてくる」——これは僕のラボから学んだ思想です。もちろん分野の性格にもよりますし、同じロボット系でも研究室によってイデオロギーは異なりますが、僕にとっては目から鱗となる考え方でした。 配属されたての頃は、一丁前に「この研究の意義は何だ」と頭でっかちに悩んでしまっていました。そういった大義があって初めて、研究はスタートするものだと思い込んでいたのです。しかし、先生から最初に聞かれたのは「君は、ロボットにどんな動作をさせたいの?」という、もっと素朴な原動力でした。
そもそも「まだ誰もやっていないこと」には、必ず理由があります。つまり、そこには未解決の課題があるということです。逆説的に言えば、新しい手法の提案によって「ある動作」が達成できれば、それは「その動作を阻んでいた問題を解いた」ということになります。それこそが研究です。ここでいう新しい手法とは、世界を塗り替えるような大発見に限りません。既存の手法の組み合わせや改良であっても、それによって「できなかったことができるようになる」なら、立派な新規性です。
だから、まずは実現させたい動作に向かって一直線に進めばいい。「これに新規性はあるのか」とうだうだ考えて手を止めることが、一番いけません。僕のラボでは、意欲的な学部四年生が「読んでおくべき論文はありますか」と尋ねると、「つまんない研究しかできなくなるから論文は読むな」と指導されることすらありました。そんな研究室も珍しいとは思いますが、そこには明確なメッセージがありました。
つまり、「問い」は後から振り返ってわかることもある、という気づきです。初めから完璧な問いが立てられ、それに向かって一直線に進むのが研究のすべてではありません。目的(タスク)ドリブンで試行錯誤した結果、「実は自分はこんな問題を解いていたのか」と後から気づくこともあります。
この「タスクドリブン」な方法には、いくつかの利点があります。
1つは純粋なモチベーションの維持です。研究は試行錯誤の連続ですが、「このタスクを実現させたい」という本人の好奇心に基づいた問題設定なので、途中で折れかけた心を支えてくれます。
2つめは、そのタスクが実現できさえすれば、論文が書けることが半ば保証されるという点です。論文には手法の有効性を示すための「検証実験」が不可欠ですが、タスクドリブンではそれが初めから用意されていることになります。これが課題ドリブンだと、いざ手法を思いついても「それをどう検証するか」で再び頭を悩ませることになりかねません。特にロボット系の論文では実機動画があることが必要条件になりつつある現在、具体的なタスクが達成されている事実は非常に強力なエビデンスになります。
3つめは、現実的に締め切りに合わせて「調整」がしやすいことです。これは学位論文の執筆において、現実的に有益です。インパクトのあるタスクであれば、通常は複数の課題を内包しています。そのため、締め切りが迫った際には、ある条件を固定して特定の課題を解くことを諦め、問題設定を簡易的にして着地させたりといった柔軟な対応が可能になります。もちろん最終的にすべての問題を解くのが理想ですが、まずは解ける範囲から着手し、段階的に問題設定を難しくしていくというのは、研究としても極めて正統なアプローチです。
そうやって集めた材料を、最後に論文として人に説明するときには「まず問いがあって、次に手法がある」という論理構成で書きます。しかし、それは決して研究不正などではありません。「国語力」の章で述べたような、相手に合わせた誠実な態度そのものです。
優れた指導者は、豊富な経験から、学生が走っている方向が「ある程度の範囲」に収まっているかを直感的に判断できます。よほど的外れな方向へ行きそうになれば止めてくれますし、より良い方向性にリードしてくれます。大学の研究でいえば指導教員、会社で言えば研究・開発部署の部長がこれにあたります。今思えば、僕の指導教官や補佐の先生は、これを自然と実践してくださっていました。
それと同時に、先生だって「やってみなければ本当の課題は見つからない」ということを知っています。 だから、一つには自分が未熟なのだからその頭で考えたってしょうがないということ、そしてそもそも人類が直面したことのない課題なのだからやってみるまで正解は誰にもわからないということを、素直に受け入れることが大切なのだと思います。
金出武雄先生の『独創はひらめかない―「素人発想、玄人実行」の法則』という書籍は、この姿勢を支えてくれる名著です。
この本には、ここに書いた以上の金言がちりばめられており、定期的に読んでは自分を戒めるバイブルとなっています。
自信の正体
東大に入ってから、自分よりも圧倒的に優秀である人をたくさん見てきました。優秀さにも2つのベクトルがあり、単に能力的に優秀というだけでなく、努力家だったり底知れないバイタリティがあったりする、そんな人ばかりでした。そんな他人と自分を比較して、自信をなくすことは多かったと思います。
二十歳そこそこの若僧に「他人と比較するな、自分らしく生きろ」と説くのは、処世術としては正しくても、自己成長の機会を奪う無責任なアドバイスかもしれません。
当時の日記を振り返ると、勉強を建前にしながら「他人と比べてしまう自分が嫌だ」と迷走する葛藤が綴られていました。 しかし、自分というものが確立されていない時期に他人と比較してしまうのは、ある意味で当然のことです。
むしろ、徹底的に他人と比較してよくて、比較する中で切磋琢磨すればいいし、徐々に自分を見つけていけばいいような気がします。そんな葛藤の中で自信を育むには、数多くのトライをして、小さな成功体験を積み重ねていくしかありません。
たくさんのトライを得るテクニックとして、時には「ハッタリ」をかますことも有効です。少し背伸びをしたハッタリによって周囲の期待を引き寄せ、自分にプレッシャーをかける。もちろん嘘や経歴詐称を勧めたいわけではありません。謙遜は美徳ですが、それを言い訳にして挑戦から逃げていた自分への戒めです。 ただ、周りに迷惑をかけないように注意する必要があります。実際には、振り返るといろいろな人にお世話になり、失敗を大目に見てもらったと思いますが、その恩は、いつか自分が逆の立場になったとき、別の後輩に回していけばいいのだと考えています。
そのおかげもあって、会社でも上司から「自信を持って発言するよね」と言っていただけるようになりました。小さな成功体験の記憶と、自分の中にある信念が固まってくるからだと思います。だから、自信は初めからあるものではなく、自分で作るものですね。
その結果、自分の根底に醸成され、今や重要な役割を果たしていると思えるのは、意識のベクトルを「自分」ではなく「外(対象や相手)」に向けるという感覚です。
自信がなくなったり緊張したりするのは、結局「自分が他人からどう見られているか」を意識しすぎているからです。つまりベクトルが自分に向いている状態です。しかし、実際には他人はそれほど自分のことを気にしていません。共に仕事や研究をする相手にとって重要なのは、「僕がどう見えるか」ではなく、「提示されたアウトプットが、目的の達成にどう貢献するか」だけです。
むしろ、自信なさげに振る舞うことは、相手に余計な気を遣わせ、目的の達成を妨げるという意味で「迷惑」ですらあります。目上の人からの質問は怖いものです。実際、学会で「自分、よく分かっていないんですけど」という枕詞から始まる、いわゆる「素人質問」を聞いたときは空気が凍りました。しかし、それらに対して、自分が持っている材料ではっきりと答えないということは、自分を対等な対話相手として見てくれている相手を、ないがしろにする行為に他なりません。
もちろん、勘違いしてはいけないのは、曖昧なことを自信満々に述べるのが正解ではないということです。わからないことに対しては、「この範囲まではわかるが、ここからはわからない」とはっきり述べる。そのように「わからないことをわからない」と誠実に開示することこそが、真に学問に対して真摯な態度です。その姿勢もまた、大学生活を通じて学んだ大切なことの1つでした。
とはいえ、僕はまだ完璧ではありません。はっきりと自分の考えを持とうと意識しすぎて、自分の意見を絶対視してしまい、瞬間的に他人の意見を否定してしまうことがあります。文字面ではそうなっていなくても、相手にそういった印象を与えてしまっている場面があります。 そう思うと、「自信がある」と相手に思わせている時点では、まだ二流なのかなと思います。
僕が尊敬する今の部長は、何を提案してもまずは大きな器で受け止めてくれるし、その後に適切に判断してくれるという圧倒的な安心感があります。 それこそが、自信も緊張も何もない「無の境地」なのだと思います。
自分を誇示する必要も、守る必要もない。ただ対象に対してフラットに存在する。そんな姿が、僕が次に目指すべき姿です。
進路に悩んだ先に
大学生というのは、自分の進路に悩むものです。可能性を広げる時期であると同時に、ある地点からは専門性を絞り、自分の生きざまを決めていかなくてはなりません。
東大には「進振り」という制度があり、僕は工学部の機械情報工学科に進学しました。理由はさまざまでしたが、最後は「目に見えるモノづくりをしたい」という心の声に従ったつもりです。結果として、ロボティクスを好きになり、それをそのまま職業にできているので、あの時の選択は自分なりに「正解」にすることができたと思っています。
一番悩んだのは、博士課程に進学するか、企業に就職するかです。 修士での研究を通じ、基礎的な知識がつくにつれてできることが増えていく実感が楽しくなっていました。博士号という「世界への切符」を手にし、最先端で活躍できる人材になりたいという憧れもありましたし、企業で過ごす数年間よりも、博士課程で過ごしたほうが、人として確実に成長できるだろうとも考えていました。一方で、博士課程の過酷さを間近で見ている分、自分にその覚悟があるのかという不安も拭えませんでした。
悶々と悩んでいることを指導教員補佐の先生に相談すると、こうはっきりと言われました。
「じゃあ、博士には行かないほうがいいと思う。今の理由の中に、『研究がしたいから』という一番大事なものが無かったから。それに、その先にあるのが 『いいモノを作って世に出したい』という目標なら、それがすぐに叶えられる就職という道を選んだ方がいいよ。」
それは、愛のある断言でした。その言葉の背景には、以前も触れた「やりたいことと、向いていることで迷ったら、向いていることを選択したほうがいい」という先生の助言もありました。だから、迷いなく就職という道を選択することができました。
この悩みの果てに、僕は自分の先入観に気がつくことができました。それまでの僕はどこかで、「ノーベル賞を取るような仕事こそが高尚で素晴らしい」といった価値観に縛られていたのです。しかし、一つ達観した考え方を手に入れることができました。
今、自分の最も近くにいる一人を幸せにすることも、一般的な企業に勤めることも、あるいは何十年後かの人類の利益に貢献するような科学研究をすることも、実は本質的には大差のないことなんじゃないか。そう思うのです。
自分を中心にして、自分が影響を与えられる輪が同心円状に広がっていると想像してみます。どの仕事をしても、それは「どの距離の輪にターゲットを据えるか」の違いに過ぎません。 より遠くの輪を狙えば、社会の広い範囲に影響を与えることができます。ただし、距離が遠い分、波を届かせるまでに長い時間を要します。加えて、一人ひとりに届く波は小さくなり、確率的に届かない可能性も孕んでいます。反対に、近くの輪を狙えば、短時間で確実に影響を届けることができますが、その人数は限定的です。
そこには、決して優劣などありません。それは人それぞれの価値観の違いであり、また一人の人間の中でも、人生の時間軸の中で変化していくものです。家族を一番にしたい時期もあれば、遠くの輪を狙った大きな仕事をするべき時期もあるでしょう。 分野や業界、富や名声といった、既存の社会が用意したわかりやすい指標だけでなく、新たな物差しを持つことができました。それも、大学時代に学んだ大切なことの1つです。
最後に
僕が学部に入学した2017年度の入学式に読まれた、大隅良典先生の祝辞を読み返してみました。するとそこには、僕がここで長々と書き連ねてきた、学ぶことの作法や未知への向き合い方、そして目指すべき知識人の姿が、すでに鮮やかな言葉で示されていました。
裏を返すと、大学から受け取るべきメッセージを自分なりに咀嚼し、一人の知識人として大人になることができたのだと思います。 だから、そのことには誇りと感謝を持ちたいと思います。
すでにその先の人生は進んでいます。ここに記したことは財産として大切にしながら、その上に新たな学びを積み重ねていきたいです。
姉の結婚式
去年の暮れ、姉の結婚式がありました。
天気も良くて、ドレスと共に、姉はとても輝いていました。友達と一緒に合唱をしたり、ヴィオラを弾いたり、音楽が大好きな姉らしい素敵な結婚式でした。小さい頃はヘニャヘニャしていた印象がありましたが、その日は凛々しく見えました。
思い返すと、姉は昔から、弟の僕に色々なものを譲ってくれました。おもちゃの取り合いになっても喧嘩が少なかったのは、最後の最後に譲ってくれる優しい姉のおかげです。
負けず嫌いな弟はゲームで負けそうになると拗ねるので、最後には負けてくれていた気がします。そんな記憶を、正月に実家で姉夫婦を交えながら当時のゲームをしたときに思い出しました。
姉が高校生のとき、父の実家に行き、父が弾いていたギターを見つけた姉が弾きたいと言い出して愛知の家に持って帰ってきましたが、僕はすぐに自分のもののように抱え込んでいました。ピアノをやっている姉に対抗したい気持ちがあったのかもしれません。最初は取り合いになりましたが、いつしか僕の部屋に定着し、今や完全に僕の所有物になりました。
そんな優しさのもとで自由に育ててもらったから、色んなことが器用にできるようになった気がします。半面、子供っぽいわがままな性格のままです。

一年前、姉と久しぶりに実家でゆっくり話す時間がありました。くだらない話をした後、ふと姉は「お母さんたちは完全に弟寵愛だったよね(笑)」と呟きました。確かに、僕の方がひいきされていたような気がします。
続けて、実は、東京の大学に行って芸術文化を専攻したかったという話をしました。ただ、姉弟両方を東京に出すのは金銭的に厳しいから、却下されたそうです。僕らの親は古風なところがあるので、男の僕には絶対に一人暮らしを経験させないといけないと考えていたそうで、自動的に姉は地元の教育大学に進学して実家に留まることになったそうです。姉も納得して、弟の僕に可能性を譲ってくれていたらしいです。
その話は、この日に初めて知りました。
それを聞いたときは、驚きもあり、何とも言えない複雑な感情に襲われました。優しさを一方的に受け取ってしまっていたことへの負い目が、胸に込み上げてきました。姉を犠牲にしてしまった罪悪感がありながらも、僕の知らないところで起きていた意思決定なので、僕が謝るのも違う気がします。親の考えが悪いとも思えません。最近のご時世だと、こういった価値観は否定されてしまうのですかね。でも、親なりの愛を持った教育方針です。実際、僕らの家族はそれで幸せに回っています。代わりに姉は、ピアノや塾などお金のかかる習い事をさせてもらっていたので、完全に僕だけに偏っていたわけでもありません。
とにかく僕にできることは、姉の優しさの上に生きているのだということに自覚を持って、立派に生きることです。立派に生きるとはなんでしょうか。よく分かりませんが、姉が誇りを持てる弟になることですかね。
しかし、姉の中で不幸せな思いは残っているのではないかと不安はあります。
だからこそ、結婚式で幸せそうにしている姉の姿を見れて、僕は誰よりも嬉しく思いました。姉にこんなにも素敵な友達がたくさんいるとは知らなかったし、その友達は姉のために楽器や歌を練習して、演奏してくれて、とても誇らしく嬉しい気持ちになりました。
旦那さんも、初めて会ったときには無口で大丈夫かと思ってしまいましたが、話していくうちに人柄の良さがよく見えて、素敵な人です。マリオカートでは全然勝てません。
本当におめでとう。
そんな想いを伝えられるのはこういう機会しかないと思い、サプライズで時間をもらいました。お祝いのスピーチと、姉の優しさを詰まった思い出のギターでの弾き語りのプレゼントをしました。泣いて喜んでくれて本当に良かったです。僕も途中で感極まって泣いてしまいました。
youtu.be逆に、中座のエスコートには内緒で僕を選んでくれていました。両親にも、久しぶりに姉弟の仲の良い姿を見せることができました。とても良い式だったと思います。
A lovely gift from the best friends in Berkeley
A package arrived at me. I opened it. It was filled with lots of things such as San Francisco chocolate, American snacks, a message card, and my favorite character Snoopy's doll! This heartwarming gift was from two of the best friends I met in Berkeley, Michael Marnell and Theia Cortes.
続きを読むBerkeley留学が終了しました
先日オンラインによる期末試験も終わり、Berkeleyでの留学は正式に終了となりました。最後の期間を現地で過ごせなかったことは残念でしたが、本当に有意義な留学生活だったと思います。記憶が薄れてしまう前に、今学期も振り返りを記しておこうと思います。

授業
今学期履修した授業は以下の通りです。
「アナログ電子回路→制御工学→機械学習の導入」という流れを辿りながら、授業名の通りデバイス設計やシステムの基礎を学ぶ授業です。
週3時間のLecture、2時間のDiscussion、3時間のLab Sectionによって構成されています。Lectureで理論的背景を解説し、Discussionで演習問題を扱って、実機で演習することによって理解を深めるという、理想的な授業設計になっています。東大は座学が多いので演習形式の授業を取りたいと思って履修しましたが、その期待以上に素晴らしい授業で、電子回路や古典制御について知識を深められただけではなく、理論がどう実践に移されているかを大きな繋がりの中で勉強することができたと思います。
また、演習をペアで行えたことも良かったと思います。2人だと1人当たりの負荷が適切に高く、かつ密なコミュニケーションが必要不可欠になるので、英語力の向上にも大いに役立ちました。深い友情も生まれて良かったです。
演習の後半はVoice controlled robot carを組み上げるというプロジェクトに当てられました。手順は丁寧に解説されているとはいえ、ブレッドボードを使うレベルでの電子回路設計、フィードバック制御のパラメータチューニング、そして音声認識器の作成を経て最終的に動くようになると非常に達成感があります。ここまで一から作る経験もなかなか得られないと思うのですが、学習コンテンツとしては非常に優れていたと思います。途中から完全な遠隔になり、パートナーのMichaelとzoomで会話をしながら僕が実機を動かすという形になってしまいましたが、無事に完成して良かったです。
ちなみに、帰国日に同じ便で日本人のBerkeley学生に偶然出会ったのですが、この機材を持っていたので同じ教室にいたのかと尋ねると、2年前に履修したけど愛着が湧きすぎて日本まで持ち帰ってきたのだと言っていました。僕もちゃんと愛着が生まれたので、このようなデモ動画を作ってしまいました。
EECS 16B SIXT33N: Voice Controlled Robot Car
この講義はEECS(Electrical Engineering and Computer Science)とCS(Computer Science)の必修科目になっており1年生や2年生の学生が多い印象でしたが、この授業を1,2年のうちに受けられることは幸せだなと感じました。
- CS 61B: Data Structures (4 units)

データ構造やアルゴリズムを学ぶComputer Scienceの授業で、言語はJavaです。Sort, Tree, Queue, Stack, Graphなどなど、CSの必須項目を学びます。週3時間Lectureがあり、1時間のDiscussionで演習問題を解き、2時間のLab Sectionでコーディング演習を行うという構成でした。それに加えて毎週のコーディング課題やプロジェクト(大きめのコーディング課題)も幾つか出され、この授業に一番時間を割いていたような気がします。
ちなみにBerkeleyの一部の学科にも、東大の進振りと同じように2年次に専攻を選ぶシステムが適用されており、CS専攻にはこの授業を含めた指定3科目でGPA3.3以上を取らないと進めない仕組みになっているので、CS学徒は皆必死になって勉強しています。そのような学生は勿論、僕のような他学部生でも受講する学生がいるので、1セメスターに1500人程度が受講するというBerkeleyの名物授業になっています。もちろんそんな人数を収容できる教室はないので、大半の学生はYoutubeにアップされる講義動画を見て勉強します。コーディング課題には全て自動採点システムが開発してあり、さすがBerkeleyのCSだなという印象を受けます。
BerkeleyはCS分野では世界トップ10には入る有名校で、やはり宿題やプロジェクト(重めの宿題)はかなり歯応えがありました。しかし、毎週あるLab Sectionではペアになってプログラムを組んだり、休日に自主的に集まって宿題をするHomework partyが頻繁に開かれていたりと、一人で黙々とやっている感じではありません。さらに、授業外の時間でも質問を投げかけると受講生やTAが答えてくれる公開掲示板のようなものがあり、サポート体制はかなり整っている印象を受けました。
特にプロジェクトは、内容は面白く楽しみながら進められるものばかりでした。ボードゲームを作ったり、Enigmaというドイツ軍の暗号機の仕組みを模倣するプログラムを作ったりしました。このプロジェクトをやる前にこの映画を友達を一緒に観てモチベーションを高めたりしたのも、思い出として残っています。
宿題では特定のアルゴリズムを深く勉強するのに対し、プロジェクトでは寧ろプログラム全体の動きのようなものを勉強できて良かったです。今まで自分がやってきたプログラミングの勉強は末端のアルゴリズムの域に留まっていたので、ファイル間の関係やオブジェクト指向など、自分が理解できていなかった概念もクリアになりました。
特に最後のプロジェクトは「簡易版のgitシステムを作ろう」というもので、正直何十時間費やしたか定かではないですが、非常に勉強になるものでした。(gitというのは、コーディング時によく使われるバージョン管理システムのことです。) 他のプロジェクトは大枠のプログラムが与えられてその穴埋めをしていくような形式でしたが、これだけは一から自由に作るというテーマになっています。それ故に本物のgitのファイルシステムの中身を探ってみたり、友達とデザインを話し合ったりと、リバースエンジニアリングの端くれのような経験ができてとても良かったと思います。(書いたプログラムを公開したいところですが、厳格に禁止されているので残念ながら公開できません。) この授業を終え、諸々の巨大なシステムも、こうした基礎的なアルゴリズムと適切なデータ構造の積み重ねの上に成り立っているのだという当たり前のことに気がつくことができ、プログラミングの勉強の必要性をより一層感じるようになりました。
ちなみに今学期担当のHilfinger教授に変わってからはプロジェクトが異様に重たくなったらしく、こんなmemeがしょっちゅう作られて話題のタネになります笑 (単語は各プロジェクトの名前です)

上のEECS16Bもこの授業も、多くのTAを抱えて毎年アップデートを繰り返しているので、授業の質が非常に高いです。
- ME 100: Electronics for Internet of Things (4 units)
その名の通り、IoTのための電子技術を学ぶ授業です。週3時間のLecture、2時間のDiscussion、3時間のLab Sectionによって構成されています。講義の内容は東大の機械系で学んだことがほとんどでしたが、復習の機会になったと捉えれば良かったと思います。毎週存在する演習で実践的なスキルを得ることがこの授業を履修した目的だったため、ある程度はそれを達成することができたと思います。
それ故に、3月中旬から演習がなくなってしまったことは非常に残念でした。ペアで自由なものを設計して発表するという最終プロジェクトも中止になってしまったので、他に比べてこの授業から得られるものは少なくなってしまいました。
ただ、授業で使う予定だったESP32というマイコンは貰えたので、個人的に下のようなものを作るのに使って、最終プロジェクトの代わりとすることにしました。
- CS 198-96 Introduction to Neurotechnology (2 units)

Berkeleyには、DeCalという学生が主体となって運営する授業がいくつか存在します。この授業もそのうちの一つで、Neurotech@Berkeleyという団体が運営母体となって講義や演習を展開しています。BMI(Brain Machine Interface)をはじめとする、俗にNeurotechnologyと呼ばれる技術を紹介する授業です。ちなみに僕はこのクラブに秋学期も今学期も入会希望を出したのですが、見事にどちらも落選してしまいました。Berkeleyはクラブ活動も盛んですが、技術系のクラブは特に競争率が激しいです。
この授業も途中から中止になってしまい、後半の演習パートが消えてしまいましたが、グループプレゼンは終えていたということで単位を貰うことはできました。悉く授業のコンテンツが消えてしまうのは悲しいです。グループメンバーの非常に優秀な一人と毎週会って話ができるのを楽しみにしていたので、それも少し残念でした。
DeCalというのは他の大学には無い、非常にユニークなシステムですよね。クラブが運営していることが多いので、上のように面白いトピックがたくさんあります。比較的単位を取るのが簡単なので、学生は必要単位数を埋めるために履修したりすることもあります。僕は余裕がありませんでしたが、友人は運営側に回って講義を担当していたらしいです。
- ME 196: Undergraduate Research (3 units)

秋学期の授業の最終プロジェクトを延長して、今学期はUndergraduate Researchとして続けていました。前回作ったプロトタイプを改良したり、データを取って他のデバイスと組み合わせられるようにしたりしていました。重りを使うためにジムの中にPCを持ち込んで実験したり、ミーティングをするために先生の研究室まで皆でドライブしたのも楽しい思い出です。
ただ、やはりグループプロジェクトは難しいなというのが終わってみた感想です。皆が同じ方向を向いて進んでいくのは難しく、芳しい進捗を生めないままコロナの影響でさらに状況が困難になってしまいました。それ故に僕自身もモチベーションを保ってこのプロジェクトに取り組めていなかったと思います。こういうときには誰かが力強いリーダーシップを発揮してプロジェクトを進めていく必要があるのですが、僕も含め誰一人としてそうなれなかったのは反省すべき点です。何とか研究レポートを形にすることはできましたが、その内容は研究とは呼べないものに終わってしまいました。
追記(02/09/2021)
このプロジェクトの内容が研究室のホームページに掲載されているのを発見しました。些細なことですが、自分の名前が載っているのを見ると嬉しいものですね。
- MCB 191: Senior Research Thesis (3 units)
秋学期から引き続き行っていた研究室活動です。実は秋学期も"Independent Study"として単位を貰っていたのですが、今学期は少しアップグレードして"Senior Research Thesis"という科目登録をして単位を貰っていました。この科目登録は原則的にMCB(Molecular & Cell Biology)の4年生にしか適用されないようですが、教授の働きかけによって登録することができました。やはり、権力のある先生の交渉によって簡単に物事が動いてしまうあたりは交渉社会のアメリカらしくて面白いです。ちなみに僕もこの1年間で、スキルの程はともかく、多少の障壁なら交渉を挑むガッツは身についたような気がします。
この科目はその名の通り、論文形式のレポートを提出することで修了となります。僕はどちらかというとsupervisorの指示を受けながらtechnicianに近い働きをしていたので、研究の流れを纏め上げるのが本当に大変でした。また、英語でのライティングに不慣れだったことや、生物学の背景知識が欠如していたことから、なかなか筆が進まずに大変でした。それでも最後の2週間、ほぼ毎日ミーティングを開いて丁寧に添削をしてくれたsupervisorのVictoriaには感謝しかありません。「私の真似をしながらでいいから自分でアカデミックライティングの仕方を学び取って欲しい」と言って僕を勇気づけてくれた彼女のおかげもあって、何とか期限内に書き終えることができました。
正式な論文とまではできなかったものの、自分の成果を形として残せたのは良かったと思います。今後色んな場面で自分をアピールするときに便利ですもんね。タイトルは、
A behavior platform to study zebrafish motor behavior at early developmental stages with optogenetics, GtACR1.
で、機械・情報とは全く別分野のものですが、バイオ系もやっていたという証明になるので今後役に立ちそうな気がします。というか、こういう経験や縁の一つ一つを大切にして、自分の幅を広げられるように努力することの方がよっぽど大事だと思います。それに、この研究が論文化するときにはauthorとして入れてもらえるので、そのときにはちゃんとした実績の一つとなることに期待しています。
また、研究室生活の締め括りとして、ラボミーティングの中で15分のプレゼンをする機会もいただけました。研究室内のミーティングと言えど30人近くの前で発表するので、直前はずっと胃が痛かったのを記憶しています。このプレゼン練習にもVictoriaは懇切丁寧に付き合ってくれました。客観的に見て完璧というレベルからは程遠い出来でしたが、最後に皆が褒めてくれて嬉しかったです。
この研究室生活が留学の中で時間的に占める割合が最も大きかったですし、最も価値のある経験であったことは間違いありません。授業というのはその枠組みに乗っていけば完遂できるものなのでさほど難しくはないのですが、研究室生活は小さな試行錯誤と失敗の連続でした。自分のやりたいこと、能力、求められることの間で何度も苦しんだ1年間だったと思います。ただ、紛いなりにも答えを提示し続け(その答えの多くは60点くらいだと思いますが)、最後まで継続できたことは誇りに思っていいような気がします。
一年間指導してくれたVictoriaとIsacoff先生に直接挨拶ができないまま日本に帰ることになってしまったことは非常に心残りです。Victoriaは直接一緒に研究をしていた仲間であり、Isacoff先生はこの機会をくれた恩師です。思えば、交換留学生が研究室に入るチャンスを貰えることは当たり前ではないのかもしれません。尚更僕はEngineeringの学生ですが、僕の興味や以前やっていたことを鑑みて、適切に機会を与えてくれました。研究に関しては教授らしく拘りの強い人ですが、学生からは"Udi"という愛称で親しまれ、一人一人と向き合ってくれる先生でした。僕の相談にも真摯に乗ってくれたことを覚えています。日本にも好意を持っていて家内で靴を脱ぐ文化を取り入れているらしく、一度ホームパーティーに誘われたとき、逆に僕が土足で上ろうとして怒られたのは心温まる思い出の一つです。
二人に送った感謝のメールとその返事の内容はここには載せませんが、僕の一生の宝物です。
活気ある学生生活
友人に聞いたところ、Berkeleyは理論寄りの大学だと諭されましたが、少なくとも東大よりは実学に基づいた大学です。秋学期にそのことを心地よく感じたため、今学期は実践的な授業を多く取りました。そこで感じたことは、今まで自分が学んできたことを実践に全く落とし込めないもどかしさと、周りの学生への感心です。日本の教育は多くの知識を取り込むことに特化しているので、日本人の知識や計算力はアメリカの大学生を十分凌ぐだけの力があります。実際、ペーパーテストの成績だけ測れば日本の学生の圧勝でしょう。しかし、そのような能力は、広い意味の「問題解決能力」のうちの一部分に過ぎないのかもしれません。
工学を「実世界に役に立つものを作る」学問だとすれば、そのプロセスは①実世界の問題を抽出してモデル化すること、②モデル化した問題を解くこと、③解を実世界に実現することに分けられると思います。今までの勉強は、机の上で完結すること、つまり2番目の、モデル化された問題をいかに解くかということに集中してきました。それに関しては、十分過ぎるほどの訓練を積まされた自覚があります。しかし、その前後、すなわち実世界で起こっていることをモデル化する力、解いたモデルの結果を実世界にどう解釈するか、という力は全くといっていいほど自分に欠けていました。上手く言葉にするのが難しいですが、他の学生が持っているような「勘」が自分には備わっていないと感じたのです。他の学生は瞬時に問題の本質を見抜いているようでしたが、自分だけが取り残されている瞬間が何度もあって歯痒かったです。
その証拠に、彼らはアナロジーを非常に上手く使います。TAによる宿題の解説動画などを見ていると皆それぞれ秀逸な喩えを使って難しい概念を説明していて、聞いていると頭の中がクリアになります。類推ができるということは、その概念を適切に簡略化・抽象化できている証拠ですから、やはり見習わなければいけないポイントです。教科書に書かれているような厳密な論理が重要なことは疑いようもないですが、それが自分の持ち玉になっているか否かは大きな違いです。
ただ、それが行き過ぎると、物事をあまりに単純視しすぎていたり、アナロジーが激しすぎて多少の間違いを孕んでいたりするのも事実です。また、大したことのない内容を雄弁にプレゼンしているのは、感心しても見れるし、滑稽にも見えます。大袈裟な例ですが、
This sophisticated machine learning algorithm makes the world a better place.
のような謳い文句は腐る程あるのです。その一方で、こうした流行に爆発的に乗るエネルギーがあるから、シリコンバレーのような場所が生まれるんだろうなとも思ったりします。
結論としては、両輪をバランスよく回すことが大事だということです。僕にとっての収穫は、知識を実践に使うのは容易いことではなく、その能力をつけるのにもそれ相応の努力をしなくてはならないと気付けたことです。
二学期にかけて授業を履修したので、さすがに授業形態にも慣れることができました。こちらの授業は、比較的高成績が取りやすいと思います。予習のリーディングや大量の宿題に追われる日々は大変ですが、裏を返せばテスト一発勝負ではなく、宿題やディスカッションへの貢献度などが合算されたスコアとして算出され、日々の努力が報われる形式になっています。それに、アメリカは在籍中も卒業後もGPAが非常に重要なので、たとえ単位を取得できたとしてもCやDでは悲劇の結末になります。日本は単位取得が基準である節がありますが、それとはそもそもゲームのルールが異なるという感じでしょうか。単に卒業要件を満たすだけはさほど難しくないですが、卒業後に苦労しないGPAを持って修了するためにはそれ相応の努力する必要があります。アメリカの大学は入学するのは簡単だが卒業するのが難しい、と言われる所以はここにあります。
GPAをキープしなければいけないことと、興味のある専門外科目を履修したいというトレードオフの間に生まれたのが、Pass/No Passオプションです。これを選択すると、GPAに成績が反映されない合否の形で成績が返ってきます。今学期はコロナ禍を考慮して、専攻選択に必要な科目でもこのオプションを適用して楽に進めるようになったので、2年前にCSに進めずData Science専攻に落ち着いた友達は僻んでいました。ただ、もちろん好成績を取れる科目は成績評価を付けてもらった方が都合が良いので、オプション選択の期日直前は教授との駆け引きが繰り広げられました。
僕のグループメンバーは悩んだ末にP/NPを選択したのですが、僕がグループレポートの結果Aが返ってきたことを知らせると、"I gotta write a 500 words persuasive essay." と言って交渉に挑んでいました。その結果がどうなったかは聞いていません。
それぐらい、GPAへの執念は恐ろしいものがあります。だから、皆テストの直前はピリピリしており、図書館がいつにも増して混雑します。期末試験週間は"dead week"と呼ばれるのですが、メンタルヘルスクリニックの案内が大学からメールで送られてきたりして面白いです。
また、アメリカ全土の幾つかに大学に、"Naked run"という奇妙な行事があります。Dead weekの図書館で、学生が裸になって叫びながら走り回るのです。勉強苦に対する息抜きというか反抗心の表れなのですが、男女問わず参加しているのですから驚きます。僕も秋学期は見物者の一人でしたが、今学期は参加しようと友達と約束していたので、数少ないアジア人参加者として名を残す機会を失ってしまいました。まあ、こういうことは口で言うのは簡単なので、直前になって逃げ出すというオチになっていたかもしれません。
こういったカルチャーに多く触れられたことも、留学に来て良かった点だと思います。文化というのは考え方をある程度表象しているので、新たな気づきがたくさん得られます。言語も同じで、例えば"competitive"という単語が
- 彼女は可愛いけど多分competitiveだよな。
- 最近図書館の席がcompetitiveなんだよね。
といった日常会話レベルでカジュアルに使われることから、アメリカ社会に競争原理が染み付いていることを物語っていたりします。日本人男性は恋愛カーストでは最下位に位置するので、ナイトクラブに行くと自尊心を傷つけるだけに終わることがほとんどなのですが、文化体験という観点からは非常に価値があります。
理系だと大学院留学の方が主流だと思いますが、学部生として来たことでこのような体験をたくさんできたのだと思います。院生として来ると、どうしても生活が研究室周りで完結してしまいますが、現地の学部生と混じってコースワークをこなすことで所謂「アメリカの大学生活」を体験できました。

そして、この大きなコミュニティの中で様々な学生に出会えたことが、この留学の中で得た最大の価値だったと思います。彼らから受けた刺激の多くは確実に今の自分に取り込まれています。
学部レベルでの学生のレベルはまちまちで、一部神童のような天才たちに出会いますし、とんでもない金持ちもいますし、コミュニティカレッジから真面目に努力して来たような層もいます。
コミュニティカレッジというのは、超格差社会の体質が剥き出しのまま学歴格差に反映されないようにする緩衝材でもあり、格差の現実の前にして平等を謳うアメリカの建前の一つ、とも言うべきでしょうか、公立の二年制大学のことで、そのうち成績優秀者の何パーセントかがBerkeleyのような四年制大学へ編入することができる制度を保持しています。こうした学生はコミカレ時代に必死に勉強して競争に勝って編入チケットを勝ち取っているため、向上心と勤勉さを兼ね備えている場合が多いです。しかし最近は学費の高騰もあって、安いコミカレを挟んでから編入し、奨学金と共に2年間で卒業するという選択肢も増えてきているらしいので、一部天才タイプの学生も混じっていたりします。
このような編入生が正規入学生に加わり、さらに僕のような留学生の割合も大きいので、学生全体の学力レベルは非常にバラエティに富んでいます。基本的に卒業のために学生は必死に勉強をしますが、一部毎晩パーティーに明け暮れる学生もいたりします。僕の物凄く雑な印象だと、Berkeleyの学生を縦に並べて上から10分割すれば、東大の学生は2から5の間に密集して分布するのではないかと思います。あくまで偏差値的な学力の物差しで、学部生を測った場合の話ですが、中々いい線行っているのではないかと思います。海外の有名大学だととんでもない天才たちしかいないんじゃないかという漠然としたイメージがありましたが、それは高校生の僕が東大に抱いていたイメージと同じようなものでした。
ただこれは一つ全く叶わないなと思ったのが、学生の質問力です。授業を受けていると、本当に活発に質問が飛び交います。中にはちゃんと話を聞いておけよと思うようなレベルの質問もありますが、大半は的を得ている質問で、教授を答えに詰まらせるようなものも少なくありません。先に書いた通り要点を掴む能力が高いのと、常に頭の中で反芻するクセが染み付いているのだと思います。
これに加え、皆が突出した個性を持っていることも見習うべきポイントでした。それぞれが信念の元に自分の得意技を持ち合わせています。そんな中に身を置いたことで、自分を省みる機会を多く得ることができたと思います。
以前のエントリにも書きましたが、この留学、そしてオンライン化に伴って、コミュニティとしての大学の価値を再認識しました。翻って、東大でもそのようなコミュニティの価値を生かすように過ごすことが、さらにこの留学の価値を高めることに繋がると思います。
最後に
日本を出る際に購入した航空券によると、本来なら今日までBerkeleyにいる予定でした。コロナウイルスの世界的流行を鑑みると仕方がないですが、環境にも十分に慣れ切った最後の2ヶ月間はどんなに楽しかっただろうかと想像すると、とても残念な気持ちになります。夏にリサーチインターンも予定していたので、それができなかったことも残念です。実を言うと、帰国してから1ヶ月ぐらいは、Berkeleyで生活をしている夢を見て、目が覚めて自分の部屋の天井に現実に引き戻されるという経験を何度もしました。その度に少しだけ悲しい気持ちになります。
もちろん日本は素晴らしい場所で、母国語が通じること以上にハイコンテクストなコミュニケーションができるし、友人も多いし、生活水準が極めて高いです。それ以上に、自分のアイデンティティが宿る場所なので、安心感が違います。しかし今は、それが若干の物足りなさを感じさせる瞬間が多々あります。Berkeleyにいたときは、野生動物がサバンナで常に神経を張っているような、そこまで言ってしまうと流石に大袈裟ですが、常に適度な緊張感と共にあった気がします。それは、真新しい環境の中にいたからでもあり、多様な人種の中で個人をアピールし続ける必要があったからです。
日本で生まれ育ち、海外にはほとんど行ったことのなかった僕にとっては、この留学には学問以上の意味が含まれていたらしいです。一人でサンフランシスコ国際空港に降り立ったときの、不安なのか期待なのか形容し難いソワソワした気持ち。それが徐々に倦怠感に変わったのち、アメリカを愛せるようになれば別れを告げなければいけなくなってしまいました。滞在期間は7ヶ月半ほどでしたが、十分に愛すべき場所です。人生は縁の連続なので先のことは分からないですが、何かの機会に戻って来られたらと思います。
最後に、国際交流課の方をはじめお世話になった方々、本当にありがとうございました。安全に、有意義な留学生活を送られたことはそういった支えのおかげだと思うので、感謝を忘れないようにしたいです。また、ここで得たことを他の人にも還元できるように努力していきます。

帰国
前回のエントリーに書いたときから変わらず、というよりも寧ろ状況は悪くなっていきました。留学生のほとんどは母国に旅立ちましたし、現地の学生も続々と実家に帰ってしまいました。あんなに活気に溢れていたキャンパスを、まさか誰ともすれ違わずに歩けるような状況になるとは予想もしていませんでした。
それでもオンライン授業は続くわけだし何とか平静を保とうとして勉強に励みますが、10分おきに四方八方から来るメールに集中できるはずもありませんでした。また、ハンズオン演習のオンライン形式は予想以上に難しく、2倍以上の時間がかかりどっと疲れました。時々刻々と変わる状況と、それでも続くオンライン授業の間を行ったり来たりすることに疲れ始めました。
そんな中、遂に恐れていたことが。
ルームメイトも、セメスター末まで実家に帰ることにしたと言ってきたのです。前日までは絶対残ると言っていたので、この発表には本当にびっくりさせられました。よりによって、何故ピザを食べている流れで言うのかと呆れました。
近すぎる存在故に鬱陶しく思うことはありましたが、思い返すと彼は心の支えになっていたのかもしれません。身の回りのことをよく教えてくれましたし、高速のスラングが飛び交う大人数の会話の中でも、彼だけはいつも僕にペースを合わせてくれました。言葉の壁など感じさせないぐらいに笑い合える間柄になったと確信した矢先に離れられてしまうのかと自覚した瞬間に、図らずも食堂で号泣してしまいました。
しかしながら、その決断は正しいと言うしかありません。それぐらいに状況は深刻になっていました。
翌日には、借りていた本を返しに図書館に足を運びましたが、どこにも人影は見えません。ラボミーティングがあるからといってラボにも行きましたが、同じ建物内に集まりながらも別々の部屋からzoomでミーティングを行うという、世紀末のような光景が広がっていました。この日に宣告が出されたそうですが、通常授業に加えて研究活動についても建物を閉鎖して極力遠隔で行うように指令が出されたのです。実験を行う最低限の人のみが建物に入ることを許可され、他の人は自宅でできることを行おうという方針です。もちろんそのリストに僕の名前はあるはずもないので、これで物理的にバークレーにいる意味はほぼゼロになってしまいました。研究室に通えるならこの場に残る価値はあると思っていたので、それを失ってはいよいよ帰国を真剣に考えなくてはいけません。
僕を快く受け入れ、研究の機会を与えてくださった先生に直接お礼を言えなかったことは非常に心残りです。今まで丁寧に指導をしてくれていたVictoriaに会うことは叶いましたが、彼女を目の前にすればまた涙が溢れてきました。研究のことはもちろん、それ以外の面でも様々なことを教わった気がします。彼女が心から研究を楽しんでいる姿を見て色々と考えさせられましたし、進路や方向性についても常に相談に乗ってくれました。彼女のように、これからは僕も人に何か影響を与えてあげられる人になりたい、そう思わせてくれる素晴らしいメンターでした。遠隔で続けていけると言えど、彼女の側でもっと色々なことを学びたかったという思いは拭えません。(写真を撮り忘れたことも心残りです)
そんな思いでキャンパスを後にしようとすると、今度はバークレー市全体にShelter in(つまり不必要な外出を控えろということ)の命令が出されました。人気のなくなった街では犯罪も起こりやすくなり、すぐ目の前でひったくりも見せられました。
寮の食堂も、中での食事は禁止され、パックに詰めたものを持ち出して食べる形式に変わっていました。決断と行動の速さは讃えるものがありますし、この状況でまだ食事を与えてもらえることへの感謝の念は抱きつつも、弱った心に追い討ちをかけられているようでした。

何とか活気を取り戻そうと眺めの良い部屋で食べたりしましたが、人気のない街を見るのは逆効果とも言えました。しんみりと食事をしながら人がいなくなった市内を見下ろせば、そこに選択の余地はありませんでした。むしろ、ここまで状況が悪くなったことで決断が楽になったかもしれません。こうして僕も、前日までの宣言を覆して帰国する者の一人になってしまったわけです。

自分で言うのも変ですが、僕は感情の起伏が小さい方だ思います。それに、通常に過ごせたとしてもあと2ヶ月ほどで訪れる別れなので、ここまでショックを受けるとは、自分で自分に驚いています。
一つには、単純な悲しみと混乱によるものだと思います。人間の手の及ばないものによって、今まで流れていた平穏な幸せがあっという間に奪われてしまう。そのスピードに心がついていかないまま現実を受け止めるしかなく、思ったより打たれ弱いことを知りました。残りの留学期間での振る舞い方も固めて胸を弾ませていたところだったので、自分を納得させるまでにひどく時間がかかりました。
しかし、もう一方は自分に向いている感情かもしれません。悔しさとでも呼ぶべきでしょうか。
人間関係にしろ、勉強にしろ、今思えばやり残したことがたくさんあります。もっとこうしておけば良かったと言い出せばきりがありません。短い期間の日々を無駄のないように過ごせたかと言われれば、どうでしょう、自信を持ってyesとは言えないかもしれませんね。このことは初日に強く心に刻んだつもりでしたが、それを貫徹することは非常に難しかったです。
ただ逆に、自分が得たものに焦点を当てれば、本当に価値のある留学生活だったと思います。エキサイティングで、時にはクレイジーだと思う学生たちに囲まれた大学生活は、自分を省みる良いきっかけになりました。現地の学生と対等もしくはそれ以上に闘えている自分を見つけて、自信をつける。でもまた次の日になれば不甲斐ない自分に落ち込む。そんな日々は精神を疲弊させましたが、長い目で見れば自分を成長させてくれたように思います。
向こう見ずで飛び込んだ研究室生活も常に葛藤や劣等感、自分の未熟さを感じながらの日々でしたが、得られるものが多くありました。自分の世界を広げたいと思って神経科学の領域に踏み込んでみて、そこでしか得られなかった経験を元に自分を考え直すことができました。今はと言うと、改めて東大で専攻しているロボット制御の分野に軸足を置いて頑張りたいという気持ちでいます。ここでやってきたことが関係ないというよりはその逆で、今までの経験を繋げた結果そう思えているのだと思います。その上、人と同じことをしても新しいものは生まれないわけだし、だからこそ以前に想像していたのとは違う景色が見えているのかなとも思ったりします。ラボの先生ともこの前そんな会話ができて、
「君が機械工学の分野で進んでいくことを応援するけど、もし気が変わってこのラボに来たくなったら前向きに考えるし、そうでなくても強い推薦状を書いてあげるよ。」
と言ってくださいました。自分の中に多様性ができて良かったと思いますし、そんな価値観を皆が持っていて純粋に応援してくれるこの国のカルチャーは、日本には無くてとても好きなところです。
授業や研究自体もまだまだ続けていけるのは有り難いことなので、心は現地に置いてきたつもりで、残りの期間も集中しなければなりませんね。授業周りのことは、また今学期が終わった後に改めて振り返ろうと思います。
ちっぽけな自分には肩幅の大きすぎるアメリカでしたが、また何かの縁で戻ってこられればと思います。

帰国
奨学金の関係で25日までアメリカに残った方が都合が良かったので、帰国を決めた3日後にバークレーを後にし、車で3時間ほど離れたルームメイトの家にお邪魔させてもらうことにしました。もう一緒にいても暇だなと思うぐらいに最後の時間を過ごせたことは非常に幸運だったと思います。いわゆる「アメリカの豪邸」という感じの家で、両親も優しく接してくれました。誰かにあげようと日本から持ってきていた扇子の存在を思い出しプレゼントすると、とても喜んでくれました。

帰国当日のエピソードも少しだけ。その朝はレンタカーで空港まで来る予定だったのですが、一店舗目で日本の免許証が認められず危うく飛行機を逃すところでした。何とか二店舗目では認められ、ラッキーなことに粋な図らいでBMWに変更してもらえたので、最終日に爽快なドライブを楽しむことができました。閑散とした一本道は、この7カ月半の全てを思い出すだけの十分な時間を与えてくれました。
空港でも、授業のために持ち帰る予定だった電子部品が怪しまれて別室に連れて行かれるかもと言われたときは冷や汗をかきました。確かにバッグの中身がこんな感じであれば爆弾を持ち込んでいるのかと疑われてもおかしくありませんよね。5人の警備員に囲まれながらバッグの中身を全て出され、化学薬品の試験紙を使いながら念入りにチェックされている間は自分が犯罪を犯しているのではないかという気分になりましたが、無事に解放されて胸を撫で下ろしました。

そんなトラブル続きで搭乗口に着いたのは2分前。そこから11時間のフライトを経て、無事に日本に帰ってくることができました。
政府の発表にあった通り、これから14日間は隔離生活を送らなくてはいけません。上野にあるホテルで孤独な生活をする予定なので、もし差し入れを持ってきていただけたら泣いて喜びます。そうでなくても、zoomでオンライン飲み会でもやりましょう。また、待機期間が終わって日本の状況も良くなったらご飯にも誘ってください。ここに書き切れなかったお土産話もしたいですし、逆に皆さんの話も聞きたいです!

バークレーに来て4ヶ月が経ちました。
現在、所属している東京大学工学部の交換留学プログラムによって、カリフォルニア大学バークレー校に来て勉強をしています。東大での学科は機械情報工学科で、専攻は機械工学と情報工学ということになるのですが、こちらでは神経科学をメインに勉強しています。丁度昨日に期末試験が終わり、今日から冬休みに入ったところです。
時が経つのは本当に早いもので、ついこの間空港に降り立ったと思えば、もう秋学期が過ぎ去ってしまいました。いやいや、とはいっても毎日に喰らいついていくのが必死で、振り返ろうと思えば既に今日になっていたという表現の方が正しいかもしれません。
やはり自分のためにも一度今学期を振り返っておくのは大事だと思い書き始めたところ、かなりの文章量になってしまいました。僕の文章能力がもう少し高ければ簡潔にできるのでしょうが、大目に見てください。
授業の様子やそこで感じたことが伝わればいいと思って書いていますし、海外生活という観点からも、単に「価値観が変わった」「行動力がついた」などという量産型の言葉で括っては思考停止しているようにも受け取られかねないので、できる限り自分の言葉で書き記したいと思います。
