Berkeley留学が終了しました

 先日オンラインによる期末試験も終わり、Berkeleyでの留学は正式に終了となりました。最後の期間を現地で過ごせなかったことは残念でしたが、本当に有意義な留学生活だったと思います。記憶が薄れてしまう前に、今学期も振り返りを記しておこうと思います。

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サンフランシスコ国際空港 (左: 初日 右: 最終日)

授業

 今学期履修した授業は以下の通りです。

 「アナログ電子回路→制御工学→機械学習の導入」という流れを辿りながら、授業名の通りデバイス設計やシステムの基礎を学ぶ授業です。

 週3時間のLecture、2時間のDiscussion、3時間のLab Sectionによって構成されています。Lectureで理論的背景を解説し、Discussionで演習問題を扱って、実機で演習することによって理解を深めるという、理想的な授業設計になっています。東大は座学が多いので演習形式の授業を取りたいと思って履修しましたが、その期待以上に素晴らしい授業で、電子回路や古典制御について知識を深められただけではなく、理論がどう実践に移されているかを大きな繋がりの中で勉強することができたと思います。

 また、演習をペアで行えたことも良かったと思います。2人だと1人当たりの負荷が適切に高く、かつ密なコミュニケーションが必要不可欠になるので、英語力の向上にも大いに役立ちました。深い友情も生まれて良かったです。

 演習の後半はVoice controlled robot carを組み上げるというプロジェクトに当てられました。手順は丁寧に解説されているとはいえ、ブレッドボードを使うレベルでの電子回路設計、フィードバック制御のパラメータチューニング、そして音声認識器の作成を経て最終的に動くようになると非常に達成感があります。ここまで一から作る経験もなかなか得られないと思うのですが、学習コンテンツとしては非常に優れていたと思います。途中から完全な遠隔になり、パートナーのMichaelとzoomで会話をしながら僕が実機を動かすという形になってしまいましたが、無事に完成して良かったです。

 ちなみに、帰国日に同じ便で日本人のBerkeley学生に偶然出会ったのですが、この機材を持っていたので同じ教室にいたのかと尋ねると、2年前に履修したけど愛着が湧きすぎて日本まで持ち帰ってきたのだと言っていました。僕もちゃんと愛着が生まれたので、このようなデモ動画を作ってしまいました。

 


EECS 16B SIXT33N: Voice Controlled Robot Car

 

 この講義はEECS(Electrical Engineering and Computer Science)とCS(Computer Science)の必修科目になっており1年生や2年生の学生が多い印象でしたが、この授業を1,2年のうちに受けられることは幸せだなと感じました。

 

 

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ちなみに画面右にあるShuzo Matsuokaの動画は、中間試験直前に大教室のスクリーンで流され大歓声に包まれていました。

 データ構造やアルゴリズムを学ぶComputer Scienceの授業で、言語はJavaです。Sort, Tree, Queue, Stack, Graphなどなど、CSの必須項目を学びます。週3時間Lectureがあり、1時間のDiscussionで演習問題を解き、2時間のLab Sectionでコーディング演習を行うという構成でした。それに加えて毎週のコーディング課題やプロジェクト(大きめのコーディング課題)も幾つか出され、この授業に一番時間を割いていたような気がします。

 ちなみにBerkeleyの一部の学科にも、東大の進振りと同じように2年次に専攻を選ぶシステムが適用されており、CS専攻にはこの授業を含めた指定3科目でGPA3.3以上を取らないと進めない仕組みになっているので、CS学徒は皆必死になって勉強しています。そのような学生は勿論、僕のような他学部生でも受講する学生がいるので、1セメスターに1500人程度が受講するというBerkeleyの名物授業になっています。もちろんそんな人数を収容できる教室はないので、大半の学生はYoutubeにアップされる講義動画を見て勉強します。コーディング課題には全て自動採点システムが開発してあり、さすがBerkeleyのCSだなという印象を受けます。

 BerkeleyはCS分野では世界トップ10には入る有名校で、やはり宿題やプロジェクト(重めの宿題)はかなり歯応えがありました。しかし、毎週あるLab Sectionではペアになってプログラムを組んだり、休日に自主的に集まって宿題をするHomework partyが頻繁に開かれていたりと、一人で黙々とやっている感じではありません。さらに、授業外の時間でも質問を投げかけると受講生やTAが答えてくれる公開掲示板のようなものがあり、サポート体制はかなり整っている印象を受けました。

 特にプロジェクトは、内容は面白く楽しみながら進められるものばかりでした。ボードゲームを作ったり、Enigmaというドイツ軍の暗号機の仕組みを模倣するプログラムを作ったりしました。このプロジェクトをやる前にこの映画を友達を一緒に観てモチベーションを高めたりしたのも、思い出として残っています。

imitationgame.gaga.ne.jp

 宿題では特定のアルゴリズムを深く勉強するのに対し、プロジェクトでは寧ろプログラム全体の動きのようなものを勉強できて良かったです。今まで自分がやってきたプログラミングの勉強は末端のアルゴリズムの域に留まっていたので、ファイル間の関係やオブジェクト指向など、自分が理解できていなかった概念もクリアになりました。

 特に最後のプロジェクトは「簡易版のgitシステムを作ろう」というもので、正直何十時間費やしたか定かではないですが、非常に勉強になるものでした。(gitというのは、コーディング時によく使われるバージョン管理システムのことです。) 他のプロジェクトは大枠のプログラムが与えられてその穴埋めをしていくような形式でしたが、これだけは一から自由に作るというテーマになっています。それ故に本物のgitのファイルシステムの中身を探ってみたり、友達とデザインを話し合ったりと、リバースエンジニアリングの端くれのような経験ができてとても良かったと思います。(書いたプログラムを公開したいところですが、厳格に禁止されているので残念ながら公開できません。) この授業を終え、諸々の巨大なシステムも、こうした基礎的なアルゴリズムと適切なデータ構造の積み重ねの上に成り立っているのだという当たり前のことに気がつくことができ、プログラミングの勉強の必要性をより一層感じるようになりました。

 ちなみに今学期担当のHilfinger教授に変わってからはプロジェクトが異様に重たくなったらしく、こんなmemeがしょっちゅう作られて話題のタネになります笑 (単語は各プロジェクトの名前です)

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上のEECS16Bもこの授業も、多くのTAを抱えて毎年アップデートを繰り返しているので、授業の質が非常に高いです。

 

 

  • ME 100: Electronics for Internet of Things (4 units)

 その名の通り、IoTのための電子技術を学ぶ授業です。週3時間のLecture、2時間のDiscussion、3時間のLab Sectionによって構成されています。講義の内容は東大の機械系で学んだことがほとんどでしたが、復習の機会になったと捉えれば良かったと思います。毎週存在する演習で実践的なスキルを得ることがこの授業を履修した目的だったため、ある程度はそれを達成することができたと思います。

 それ故に、3月中旬から演習がなくなってしまったことは非常に残念でした。ペアで自由なものを設計して発表するという最終プロジェクトも中止になってしまったので、他に比べてこの授業から得られるものは少なくなってしまいました。

 ただ、授業で使う予定だったESP32というマイコンは貰えたので、個人的に下のようなものを作るのに使って、最終プロジェクトの代わりとすることにしました。

qiita.com

 

 

  • CS 198-96 Introduction to Neurotechnology (2 units)

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 Berkeleyには、DeCalという学生が主体となって運営する授業がいくつか存在します。この授業もそのうちの一つで、Neurotech@Berkeleyという団体が運営母体となって講義や演習を展開しています。BMI(Brain Machine Interface)をはじめとする、俗にNeurotechnologyと呼ばれる技術を紹介する授業です。ちなみに僕はこのクラブに秋学期も今学期も入会希望を出したのですが、見事にどちらも落選してしまいました。Berkeleyはクラブ活動も盛んですが、技術系のクラブは特に競争率が激しいです。

 この授業も途中から中止になってしまい、後半の演習パートが消えてしまいましたが、グループプレゼンは終えていたということで単位を貰うことはできました。悉く授業のコンテンツが消えてしまうのは悲しいです。グループメンバーの非常に優秀な一人と毎週会って話ができるのを楽しみにしていたので、それも少し残念でした。

 DeCalというのは他の大学には無い、非常にユニークなシステムですよね。クラブが運営していることが多いので、上のように面白いトピックがたくさんあります。比較的単位を取るのが簡単なので、学生は必要単位数を埋めるために履修したりすることもあります。僕は余裕がありませんでしたが、友人は運営側に回って講義を担当していたらしいです。

 

  • ME 196: Undergraduate Research (3 units)

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 秋学期の授業の最終プロジェクトを延長して、今学期はUndergraduate Researchとして続けていました。前回作ったプロトタイプを改良したり、データを取って他のデバイスと組み合わせられるようにしたりしていました。重りを使うためにジムの中にPCを持ち込んで実験したり、ミーティングをするために先生の研究室まで皆でドライブしたのも楽しい思い出です。

 ただ、やはりグループプロジェクトは難しいなというのが終わってみた感想です。皆が同じ方向を向いて進んでいくのは難しく、芳しい進捗を生めないままコロナの影響でさらに状況が困難になってしまいました。それ故に僕自身もモチベーションを保ってこのプロジェクトに取り組めていなかったと思います。こういうときには誰かが力強いリーダーシップを発揮してプロジェクトを進めていく必要があるのですが、僕も含め誰一人としてそうなれなかったのは反省すべき点です。何とか研究レポートを形にすることはできましたが、その内容は研究とは呼べないものに終わってしまいました。

 

追記(02/09/2021)

 このプロジェクトの内容が研究室のホームページに掲載されているのを発見しました。些細なことですが、自分の名前が載っているのを見ると嬉しいものですね。

oconnell.berkeley.edu

 

  • MCB 191: Senior Research Thesis (3 units)

 秋学期から引き続き行っていた研究室活動です。実は秋学期も"Independent Study"として単位を貰っていたのですが、今学期は少しアップグレードして"Senior Research Thesis"という科目登録をして単位を貰っていました。この科目登録は原則的にMCB(Molecular & Cell Biology)の4年生にしか適用されないようですが、教授の働きかけによって登録することができました。やはり、権力のある先生の交渉によって簡単に物事が動いてしまうあたりは交渉社会のアメリカらしくて面白いです。ちなみに僕もこの1年間で、スキルの程はともかく、多少の障壁なら交渉を挑むガッツは身についたような気がします。

 この科目はその名の通り、論文形式のレポートを提出することで修了となります。僕はどちらかというとsupervisorの指示を受けながらtechnicianに近い働きをしていたので、研究の流れを纏め上げるのが本当に大変でした。また、英語でのライティングに不慣れだったことや、生物学の背景知識が欠如していたことから、なかなか筆が進まずに大変でした。それでも最後の2週間、ほぼ毎日ミーティングを開いて丁寧に添削をしてくれたsupervisorのVictoriaには感謝しかありません。「私の真似をしながらでいいから自分でアカデミックライティングの仕方を学び取って欲しい」と言って僕を勇気づけてくれた彼女のおかげもあって、何とか期限内に書き終えることができました。

 正式な論文とまではできなかったものの、自分の成果を形として残せたのは良かったと思います。今後色んな場面で自分をアピールするときに便利ですもんね。タイトルは、

A behavior platform to study zebrafish motor behavior at early developmental stages with optogenetics, GtACR1.

で、機械・情報とは全く別分野のものですが、バイオ系もやっていたという証明になるので今後役に立ちそうな気がします。というか、こういう経験や縁の一つ一つを大切にして、自分の幅を広げられるように努力することの方がよっぽど大事だと思います。それに、この研究が論文化するときにはauthorとして入れてもらえるので、そのときにはちゃんとした実績の一つとなることに期待しています。

 また、研究室生活の締め括りとして、ラボミーティングの中で15分のプレゼンをする機会もいただけました。研究室内のミーティングと言えど30人近くの前で発表するので、直前はずっと胃が痛かったのを記憶しています。このプレゼン練習にもVictoriaは懇切丁寧に付き合ってくれました。客観的に見て完璧というレベルからは程遠い出来でしたが、最後に皆が褒めてくれて嬉しかったです。

 この研究室生活が留学の中で時間的に占める割合が最も大きかったですし、最も価値のある経験であったことは間違いありません。授業というのはその枠組みに乗っていけば完遂できるものなのでさほど難しくはないのですが、研究室生活は小さな試行錯誤と失敗の連続でした。自分のやりたいこと、能力、求められることの間で何度も苦しんだ1年間だったと思います。ただ、紛いなりにも答えを提示し続け(その答えの多くは60点くらいだと思いますが)、最後まで継続できたことは誇りに思っていいような気がします。

 一年間指導してくれたVictoriaとIsacoff先生に直接挨拶ができないまま日本に帰ることになってしまったことは非常に心残りです。Victoriaは直接一緒に研究をしていた仲間であり、Isacoff先生はこの機会をくれた恩師です。思えば、交換留学生が研究室に入るチャンスを貰えることは当たり前ではないのかもしれません。尚更僕はEngineeringの学生ですが、僕の興味や以前やっていたことを鑑みて、適切に機会を与えてくれました。研究に関しては教授らしく拘りの強い人ですが、学生からは"Udi"という愛称で親しまれ、一人一人と向き合ってくれる先生でした。僕の相談にも真摯に乗ってくれたことを覚えています。日本にも好意を持っていて家内で靴を脱ぐ文化を取り入れているらしく、一度ホームパーティーに誘われたとき、逆に僕が土足で上ろうとして怒られたのは心温まる思い出の一つです。

  二人に送った感謝のメールとその返事の内容はここには載せませんが、僕の一生の宝物です。

 

 活気ある学生生活

 友人に聞いたところ、Berkeleyは理論寄りの大学だと諭されましたが、少なくとも東大よりは実学に基づいた大学です。秋学期にそのことを心地よく感じたため、今学期は実践的な授業を多く取りました。そこで感じたことは、今まで自分が学んできたことを実践に全く落とし込めないもどかしさと、周りの学生への感心です。日本の教育は多くの知識を取り込むことに特化しているので、日本人の知識や計算力はアメリカの大学生を十分凌ぐだけの力があります。実際、ペーパーテストの成績だけ測れば日本の学生の圧勝でしょう。しかし、そのような能力は、広い意味の「問題解決能力」のうちの一部分に過ぎないのかもしれません。

 工学を「実世界に役に立つものを作る」学問だとすれば、そのプロセスは①実世界の問題を抽出してモデル化すること、②モデル化した問題を解くこと、③解を実世界に実現することに分けられると思います。今までの勉強は、机の上で完結すること、つまり2番目の、モデル化された問題をいかに解くかということに集中してきました。それに関しては、十分過ぎるほどの訓練を積まされた自覚があります。しかし、その前後、すなわち実世界で起こっていることをモデル化する力、解いたモデルの結果を実世界にどう解釈するか、という力は全くといっていいほど自分に欠けていました。上手く言葉にするのが難しいですが、他の学生が持っているような「勘」が自分には備わっていないと感じたのです。他の学生は瞬時に問題の本質を見抜いているようでしたが、自分だけが取り残されている瞬間が何度もあって歯痒かったです。

 その証拠に、彼らはアナロジーを非常に上手く使います。TAによる宿題の解説動画などを見ていると皆それぞれ秀逸な喩えを使って難しい概念を説明していて、聞いていると頭の中がクリアになります。類推ができるということは、その概念を適切に簡略化・抽象化できている証拠ですから、やはり見習わなければいけないポイントです。教科書に書かれているような厳密な論理が重要なことは疑いようもないですが、それが自分の持ち玉になっているか否かは大きな違いです。

 ただ、それが行き過ぎると、物事をあまりに単純視しすぎていたり、アナロジーが激しすぎて多少の間違いを孕んでいたりするのも事実です。また、大したことのない内容を雄弁にプレゼンしているのは、感心しても見れるし、滑稽にも見えます。大袈裟な例ですが、

This sophisticated machine learning algorithm makes the world a better place.

のような謳い文句は腐る程あるのです。その一方で、こうした流行に爆発的に乗るエネルギーがあるから、シリコンバレーのような場所が生まれるんだろうなとも思ったりします。

 結論としては、両輪をバランスよく回すことが大事だということです。僕にとっての収穫は、知識を実践に使うのは容易いことではなく、その能力をつけるのにもそれ相応の努力をしなくてはならないと気付けたことです。

 

 二学期にかけて授業を履修したので、さすがに授業形態にも慣れることができました。こちらの授業は、比較的高成績が取りやすいと思います。予習のリーディングや大量の宿題に追われる日々は大変ですが、裏を返せばテスト一発勝負ではなく、宿題やディスカッションへの貢献度などが合算されたスコアとして算出され、日々の努力が報われる形式になっています。それに、アメリカは在籍中も卒業後もGPAが非常に重要なので、たとえ単位を取得できたとしてもCやDでは悲劇の結末になります。日本は単位取得が基準である節がありますが、それとはそもそもゲームのルールが異なるという感じでしょうか。単に卒業要件を満たすだけはさほど難しくないですが、卒業後に苦労しないGPAを持って修了するためにはそれ相応の努力する必要があります。アメリカの大学は入学するのは簡単だが卒業するのが難しい、と言われる所以はここにあります。

 GPAをキープしなければいけないことと、興味のある専門外科目を履修したいというトレードオフの間に生まれたのが、Pass/No Passオプションです。これを選択すると、GPAに成績が反映されない合否の形で成績が返ってきます。今学期はコロナ禍を考慮して、専攻選択に必要な科目でもこのオプションを適用して楽に進めるようになったので、2年前にCSに進めずData Science専攻に落ち着いた友達は僻んでいました。ただ、もちろん好成績を取れる科目は成績評価を付けてもらった方が都合が良いので、オプション選択の期日直前は教授との駆け引きが繰り広げられました。

 僕のグループメンバーは悩んだ末にP/NPを選択したのですが、僕がグループレポートの結果Aが返ってきたことを知らせると、"I gotta write a 500 words persuasive essay." と言って交渉に挑んでいました。その結果がどうなったかは聞いていません。

 それぐらい、GPAへの執念は恐ろしいものがあります。だから、皆テストの直前はピリピリしており、図書館がいつにも増して混雑します。期末試験週間は"dead week"と呼ばれるのですが、メンタルヘルスクリニックの案内が大学からメールで送られてきたりして面白いです。

 また、アメリカ全土の幾つかに大学に、"Naked run"という奇妙な行事があります。Dead weekの図書館で、学生が裸になって叫びながら走り回るのです。勉強苦に対する息抜きというか反抗心の表れなのですが、男女問わず参加しているのですから驚きます。僕も秋学期は見物者の一人でしたが、今学期は参加しようと友達と約束していたので、数少ないアジア人参加者として名を残す機会を失ってしまいました。まあ、こういうことは口で言うのは簡単なので、直前になって逃げ出すというオチになっていたかもしれません。

 こういったカルチャーに多く触れられたことも、留学に来て良かった点だと思います。文化というのは考え方をある程度表象しているので、新たな気づきがたくさん得られます。言語も同じで、例えば"competitive"という単語が

  • 彼女は可愛いけど多分competitiveだよな。
  • 最近図書館の席がcompetitiveなんだよね。

といった日常会話レベルでカジュアルに使われることから、アメリカ社会に競争原理が染み付いていることを物語っていたりします。日本人男性は恋愛カーストでは最下位に位置するので、ナイトクラブに行くと自尊心を傷つけるだけに終わることがほとんどなのですが、文化体験という観点からは非常に価値があります。

 理系だと大学院留学の方が主流だと思いますが、学部生として来たことでこのような体験をたくさんできたのだと思います。院生として来ると、どうしても生活が研究室周りで完結してしまいますが、現地の学部生と混じってコースワークをこなすことで所謂「アメリカの大学生活」を体験できました。

 

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大学の目の前にあるBarにて

 そして、この大きなコミュニティの中で様々な学生に出会えたことが、この留学の中で得た最大の価値だったと思います。彼らから受けた刺激の多くは確実に今の自分に取り込まれています。

 学部レベルでの学生のレベルはまちまちで、一部神童のような天才たちに出会いますし、とんでもない金持ちもいますし、コミュニティカレッジから真面目に努力して来たような層もいます。

 コミュニティカレッジというのは、超格差社会の体質が剥き出しのまま学歴格差に反映されないようにする緩衝材でもあり、格差の現実の前にして平等を謳うアメリカの建前の一つ、とも言うべきでしょうか、公立の二年制大学のことで、そのうち成績優秀者の何パーセントかがBerkeleyのような四年制大学編入することができる制度を保持しています。こうした学生はコミカレ時代に必死に勉強して競争に勝って編入チケットを勝ち取っているため、向上心と勤勉さを兼ね備えている場合が多いです。しかし最近は学費の高騰もあって、安いコミカレを挟んでから編入し、奨学金と共に2年間で卒業するという選択肢も増えてきているらしいので、一部天才タイプの学生も混じっていたりします。

 このような編入生が正規入学生に加わり、さらに僕のような留学生の割合も大きいので、学生全体の学力レベルは非常にバラエティに富んでいます。基本的に卒業のために学生は必死に勉強をしますが、一部毎晩パーティーに明け暮れる学生もいたりします。僕の物凄く雑な印象だと、Berkeleyの学生を縦に並べて上から10分割すれば、東大の学生は2から5の間に密集して分布するのではないかと思います。あくまで偏差値的な学力の物差しで、学部生を測った場合の話ですが、中々いい線行っているのではないかと思います。海外の有名大学だととんでもない天才たちしかいないんじゃないかという漠然としたイメージがありましたが、それは高校生の僕が東大に抱いていたイメージと同じようなものでした。

 ただこれは一つ全く叶わないなと思ったのが、学生の質問力です。授業を受けていると、本当に活発に質問が飛び交います。中にはちゃんと話を聞いておけよと思うようなレベルの質問もありますが、大半は的を得ている質問で、教授を答えに詰まらせるようなものも少なくありません。先に書いた通り要点を掴む能力が高いのと、常に頭の中で反芻するクセが染み付いているのだと思います。

 これに加え、皆が突出した個性を持っていることも見習うべきポイントでした。それぞれが信念の元に自分の得意技を持ち合わせています。そんな中に身を置いたことで、自分を省みる機会を多く得ることができたと思います。

 以前のエントリにも書きましたが、この留学、そしてオンライン化に伴って、コミュニティとしての大学の価値を再認識しました。翻って、東大でもそのようなコミュニティの価値を生かすように過ごすことが、さらにこの留学の価値を高めることに繋がると思います。

 

最後に

 日本を出る際に購入した航空券によると、本来なら今日までBerkeleyにいる予定でした。コロナウイルスの世界的流行を鑑みると仕方がないですが、環境にも十分に慣れ切った最後の2ヶ月間はどんなに楽しかっただろうかと想像すると、とても残念な気持ちになります。夏にリサーチインターンも予定していたので、それができなかったことも残念です。実を言うと、帰国してから1ヶ月ぐらいは、Berkeleyで生活をしている夢を見て、目が覚めて自分の部屋の天井に現実に引き戻されるという経験を何度もしました。その度に少しだけ悲しい気持ちになります。

 もちろん日本は素晴らしい場所で、母国語が通じること以上にハイコンテクストなコミュニケーションができるし、友人も多いし、生活水準が極めて高いです。それ以上に、自分のアイデンティティが宿る場所なので、安心感が違います。しかし今は、それが若干の物足りなさを感じさせる瞬間が多々あります。Berkeleyにいたときは、野生動物がサバンナで常に神経を張っているような、そこまで言ってしまうと流石に大袈裟ですが、常に適度な緊張感と共にあった気がします。それは、真新しい環境の中にいたからでもあり、多様な人種の中で個人をアピールし続ける必要があったからです。

 日本で生まれ育ち、海外にはほとんど行ったことのなかった僕にとっては、この留学には学問以上の意味が含まれていたらしいです。一人でサンフランシスコ国際空港に降り立ったときの、不安なのか期待なのか形容し難いソワソワした気持ち。それが徐々に倦怠感に変わったのち、アメリカを愛せるようになれば別れを告げなければいけなくなってしまいました。滞在期間は7ヶ月半ほどでしたが、十分に愛すべき場所です。人生は縁の連続なので先のことは分からないですが、何かの機会に戻って来られたらと思います。

 最後に、国際交流課の方をはじめお世話になった方々、本当にありがとうございました。安全に、有意義な留学生活を送られたことはそういった支えのおかげだと思うので、感謝を忘れないようにしたいです。また、ここで得たことを他の人にも還元できるように努力していきます。

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僕は鼻先あたりにいます。