Berkeley留学が終了しました

 先日オンラインによる期末試験も終わり、Berkeleyでの留学は正式に終了となりました。最後の期間を現地で過ごせなかったことは残念でしたが、本当に有意義な留学生活だったと思います。記憶が薄れてしまう前に、今学期も振り返りを記しておこうと思います。

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サンフランシスコ国際空港 (左: 初日 右: 最終日)

授業

 今学期履修した授業は以下の通りです。

 「アナログ電子回路→制御工学→機械学習の導入」という流れを辿りながら、授業名の通りデバイス設計やシステムの基礎を学ぶ授業です。

 週3時間のLecture、2時間のDiscussion、3時間のLab Sectionによって構成されています。Lectureで理論的背景を解説し、Discussionで演習問題を扱って、実機で演習することによって理解を深めるという、理想的な授業設計になっています。東大は座学が多いので演習形式の授業を取りたいと思って履修しましたが、その期待以上に素晴らしい授業で、電子回路や古典制御について知識を深められただけではなく、理論がどう実践に移されているかを大きな繋がりの中で勉強することができたと思います。

 また、演習をペアで行えたことも良かったと思います。2人だと1人当たりの負荷が適切に高く、かつ密なコミュニケーションが必要不可欠になるので、英語力の向上にも大いに役立ちました。深い友情も生まれて良かったです。

 演習の後半はVoice controlled robot carを組み上げるというプロジェクトに当てられました。手順は丁寧に解説されているとはいえ、ブレッドボードを使うレベルでの電子回路設計、フィードバック制御のパラメータチューニング、そして音声認識器の作成を経て最終的に動くようになると非常に達成感があります。ここまで一から作る経験もなかなか得られないと思うのですが、学習コンテンツとしては非常に優れていたと思います。途中から完全な遠隔になり、パートナーのMichaelとzoomで会話をしながら僕が実機を動かすという形になってしまいましたが、無事に完成して良かったです。

 ちなみに、帰国日に同じ便で日本人のBerkeley学生に偶然出会ったのですが、この機材を持っていたので同じ教室にいたのかと尋ねると、2年前に履修したけど愛着が湧きすぎて日本まで持ち帰ってきたのだと言っていました。僕もちゃんと愛着が生まれたので、このようなデモ動画を作ってしまいました。

 


EECS 16B SIXT33N: Voice Controlled Robot Car

 

 この講義はEECS(Electrical Engineering and Computer Science)とCS(Computer Science)の必修科目になっており1年生や2年生の学生が多い印象でしたが、この授業を1,2年のうちに受けられることは幸せだなと感じました。

 

 

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ちなみに画面右にあるShuzo Matsuokaの動画は、中間試験直前に大教室のスクリーンで流され大歓声に包まれていました。

 データ構造やアルゴリズムを学ぶComputer Scienceの授業で、言語はJavaです。Sort, Tree, Queue, Stack, Graphなどなど、CSの必須項目を学びます。週3時間Lectureがあり、1時間のDiscussionで演習問題を解き、2時間のLab Sectionでコーディング演習を行うという構成でした。それに加えて毎週のコーディング課題やプロジェクト(大きめのコーディング課題)も幾つか出され、この授業に一番時間を割いていたような気がします。

 ちなみにBerkeleyの一部の学科にも、東大の進振りと同じように2年次に専攻を選ぶシステムが適用されており、CS専攻にはこの授業を含めた指定3科目でGPA3.3以上を取らないと進めない仕組みになっているので、CS学徒は皆必死になって勉強しています。そのような学生は勿論、僕のような他学部生でも受講する学生がいるので、1セメスターに1500人程度が受講するというBerkeleyの名物授業になっています。もちろんそんな人数を収容できる教室はないので、大半の学生はYoutubeにアップされる講義動画を見て勉強します。コーディング課題には全て自動採点システムが開発してあり、さすがBerkeleyのCSだなという印象を受けます。

 BerkeleyはCS分野では世界トップ10には入る有名校で、やはり宿題やプロジェクト(重めの宿題)はかなり歯応えがありました。しかし、毎週あるLab Sectionではペアになってプログラムを組んだり、休日に自主的に集まって宿題をするHomework partyが頻繁に開かれていたりと、一人で黙々とやっている感じではありません。さらに、授業外の時間でも質問を投げかけると受講生やTAが答えてくれる公開掲示板のようなものがあり、サポート体制はかなり整っている印象を受けました。

 特にプロジェクトは、内容は面白く楽しみながら進められるものばかりでした。ボードゲームを作ったり、Enigmaというドイツ軍の暗号機の仕組みを模倣するプログラムを作ったりしました。このプロジェクトをやる前にこの映画を友達を一緒に観てモチベーションを高めたりしたのも、思い出として残っています。

imitationgame.gaga.ne.jp

 宿題では特定のアルゴリズムを深く勉強するのに対し、プロジェクトでは寧ろプログラム全体の動きのようなものを勉強できて良かったです。今まで自分がやってきたプログラミングの勉強は末端のアルゴリズムの域に留まっていたので、ファイル間の関係やオブジェクト指向など、自分が理解できていなかった概念もクリアになりました。

 特に最後のプロジェクトは「簡易版のgitシステムを作ろう」というもので、正直何十時間費やしたか定かではないですが、非常に勉強になるものでした。(gitというのは、コーディング時によく使われるバージョン管理システムのことです。) 他のプロジェクトは大枠のプログラムが与えられてその穴埋めをしていくような形式でしたが、これだけは一から自由に作るというテーマになっています。それ故に本物のgitのファイルシステムの中身を探ってみたり、友達とデザインを話し合ったりと、リバースエンジニアリングの端くれのような経験ができてとても良かったと思います。(書いたプログラムを公開したいところですが、厳格に禁止されているので残念ながら公開できません。) この授業を終え、諸々の巨大なシステムも、こうした基礎的なアルゴリズムと適切なデータ構造の積み重ねの上に成り立っているのだという当たり前のことに気がつくことができ、プログラミングの勉強の必要性をより一層感じるようになりました。

 ちなみに今学期担当のHilfinger教授に変わってからはプロジェクトが異様に重たくなったらしく、こんなmemeがしょっちゅう作られて話題のタネになります笑 (単語は各プロジェクトの名前です)

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上のEECS16Bもこの授業も、多くのTAを抱えて毎年アップデートを繰り返しているので、授業の質が非常に高いです。

 

 

  • ME 100: Electronics for Internet of Things (4 units)

 その名の通り、IoTのための電子技術を学ぶ授業です。週3時間のLecture、2時間のDiscussion、3時間のLab Sectionによって構成されています。講義の内容は東大の機械系で学んだことがほとんどでしたが、復習の機会になったと捉えれば良かったと思います。毎週存在する演習で実践的なスキルを得ることがこの授業を履修した目的だったため、ある程度はそれを達成することができたと思います。

 それ故に、3月中旬から演習がなくなってしまったことは非常に残念でした。ペアで自由なものを設計して発表するという最終プロジェクトも中止になってしまったので、他に比べてこの授業から得られるものは少なくなってしまいました。

 ただ、授業で使う予定だったESP32というマイコンは貰えたので、個人的に下のようなものを作るのに使って、最終プロジェクトの代わりとすることにしました。

qiita.com

 

 

  • CS 198-96 Introduction to Neurotechnology (2 units)

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 Berkeleyには、DeCalという学生が主体となって運営する授業がいくつか存在します。この授業もそのうちの一つで、Neurotech@Berkeleyという団体が運営母体となって講義や演習を展開しています。BMI(Brain Machine Interface)をはじめとする、俗にNeurotechnologyと呼ばれる技術を紹介する授業です。ちなみに僕はこのクラブに秋学期も今学期も入会希望を出したのですが、見事にどちらも落選してしまいました。Berkeleyはクラブ活動も盛んですが、技術系のクラブは特に競争率が激しいです。

 この授業も途中から中止になってしまい、後半の演習パートが消えてしまいましたが、グループプレゼンは終えていたということで単位を貰うことはできました。悉く授業のコンテンツが消えてしまうのは悲しいです。グループメンバーの非常に優秀な一人と毎週会って話ができるのを楽しみにしていたので、それも少し残念でした。

 DeCalというのは他の大学には無い、非常にユニークなシステムですよね。クラブが運営していることが多いので、上のように面白いトピックがたくさんあります。比較的単位を取るのが簡単なので、学生は必要単位数を埋めるために履修したりすることもあります。僕は余裕がありませんでしたが、友人は運営側に回って講義を担当していたらしいです。

 

  • ME 196: Undergraduate Research (3 units)

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 秋学期の授業の最終プロジェクトを延長して、今学期はUndergraduate Researchとして続けていました。前回作ったプロトタイプを改良したり、データを取って他のデバイスと組み合わせられるようにしたりしていました。重りを使うためにジムの中にPCを持ち込んで実験したり、ミーティングをするために先生の研究室まで皆でドライブしたのも楽しい思い出です。

 ただ、やはりグループプロジェクトは難しいなというのが終わってみた感想です。皆が同じ方向を向いて進んでいくのは難しく、芳しい進捗を生めないままコロナの影響でさらに状況が困難になってしまいました。それ故に僕自身もモチベーションを保ってこのプロジェクトに取り組めていなかったと思います。こういうときには誰かが力強いリーダーシップを発揮してプロジェクトを進めていく必要があるのですが、僕も含め誰一人としてそうなれなかったのは反省すべき点です。何とか研究レポートを形にすることはできましたが、その内容は研究とは呼べないものに終わってしまいました。

 

追記(02/09/2021)

 このプロジェクトの内容が研究室のホームページに掲載されているのを発見しました。些細なことですが、自分の名前が載っているのを見ると嬉しいものですね。

oconnell.berkeley.edu

 

  • MCB 191: Senior Research Thesis (3 units)

 秋学期から引き続き行っていた研究室活動です。実は秋学期も"Independent Study"として単位を貰っていたのですが、今学期は少しアップグレードして"Senior Research Thesis"という科目登録をして単位を貰っていました。この科目登録は原則的にMCB(Molecular & Cell Biology)の4年生にしか適用されないようですが、教授の働きかけによって登録することができました。やはり、権力のある先生の交渉によって簡単に物事が動いてしまうあたりは交渉社会のアメリカらしくて面白いです。ちなみに僕もこの1年間で、スキルの程はともかく、多少の障壁なら交渉を挑むガッツは身についたような気がします。

 この科目はその名の通り、論文形式のレポートを提出することで修了となります。僕はどちらかというとsupervisorの指示を受けながらtechnicianに近い働きをしていたので、研究の流れを纏め上げるのが本当に大変でした。また、英語でのライティングに不慣れだったことや、生物学の背景知識が欠如していたことから、なかなか筆が進まずに大変でした。それでも最後の2週間、ほぼ毎日ミーティングを開いて丁寧に添削をしてくれたsupervisorのVictoriaには感謝しかありません。「私の真似をしながらでいいから自分でアカデミックライティングの仕方を学び取って欲しい」と言って僕を勇気づけてくれた彼女のおかげもあって、何とか期限内に書き終えることができました。

 正式な論文とまではできなかったものの、自分の成果を形として残せたのは良かったと思います。今後色んな場面で自分をアピールするときに便利ですもんね。タイトルは、

A behavior platform to study zebrafish motor behavior at early developmental stages with optogenetics, GtACR1.

で、機械・情報とは全く別分野のものですが、バイオ系もやっていたという証明になるので今後役に立ちそうな気がします。というか、こういう経験や縁の一つ一つを大切にして、自分の幅を広げられるように努力することの方がよっぽど大事だと思います。それに、この研究が論文化するときにはauthorとして入れてもらえるので、そのときにはちゃんとした実績の一つとなることに期待しています。

 また、研究室生活の締め括りとして、ラボミーティングの中で15分のプレゼンをする機会もいただけました。研究室内のミーティングと言えど30人近くの前で発表するので、直前はずっと胃が痛かったのを記憶しています。このプレゼン練習にもVictoriaは懇切丁寧に付き合ってくれました。客観的に見て完璧というレベルからは程遠い出来でしたが、最後に皆が褒めてくれて嬉しかったです。

 この研究室生活が留学の中で時間的に占める割合が最も大きかったですし、最も価値のある経験であったことは間違いありません。授業というのはその枠組みに乗っていけば完遂できるものなのでさほど難しくはないのですが、研究室生活は小さな試行錯誤と失敗の連続でした。自分のやりたいこと、能力、求められることの間で何度も苦しんだ1年間だったと思います。ただ、紛いなりにも答えを提示し続け(その答えの多くは60点くらいだと思いますが)、最後まで継続できたことは誇りに思っていいような気がします。

 一年間指導してくれたVictoriaとIsacoff先生に直接挨拶ができないまま日本に帰ることになってしまったことは非常に心残りです。Victoriaは直接一緒に研究をしていた仲間であり、Isacoff先生はこの機会をくれた恩師です。思えば、交換留学生が研究室に入るチャンスを貰えることは当たり前ではないのかもしれません。尚更僕はEngineeringの学生ですが、僕の興味や以前やっていたことを鑑みて、適切に機会を与えてくれました。研究に関しては教授らしく拘りの強い人ですが、学生からは"Udi"という愛称で親しまれ、一人一人と向き合ってくれる先生でした。僕の相談にも真摯に乗ってくれたことを覚えています。日本にも好意を持っていて家内で靴を脱ぐ文化を取り入れているらしく、一度ホームパーティーに誘われたとき、逆に僕が土足で上ろうとして怒られたのは心温まる思い出の一つです。

  二人に送った感謝のメールとその返事の内容はここには載せませんが、僕の一生の宝物です。

 

 活気ある学生生活

 友人に聞いたところ、Berkeleyは理論寄りの大学だと諭されましたが、少なくとも東大よりは実学に基づいた大学です。秋学期にそのことを心地よく感じたため、今学期は実践的な授業を多く取りました。そこで感じたことは、今まで自分が学んできたことを実践に全く落とし込めないもどかしさと、周りの学生への感心です。日本の教育は多くの知識を取り込むことに特化しているので、日本人の知識や計算力はアメリカの大学生を十分凌ぐだけの力があります。実際、ペーパーテストの成績だけ測れば日本の学生の圧勝でしょう。しかし、そのような能力は、広い意味の「問題解決能力」のうちの一部分に過ぎないのかもしれません。

 工学を「実世界に役に立つものを作る」学問だとすれば、そのプロセスは①実世界の問題を抽出してモデル化すること、②モデル化した問題を解くこと、③解を実世界に実現することに分けられると思います。今までの勉強は、机の上で完結すること、つまり2番目の、モデル化された問題をいかに解くかということに集中してきました。それに関しては、十分過ぎるほどの訓練を積まされた自覚があります。しかし、その前後、すなわち実世界で起こっていることをモデル化する力、解いたモデルの結果を実世界にどう解釈するか、という力は全くといっていいほど自分に欠けていました。上手く言葉にするのが難しいですが、他の学生が持っているような「勘」が自分には備わっていないと感じたのです。他の学生は瞬時に問題の本質を見抜いているようでしたが、自分だけが取り残されている瞬間が何度もあって歯痒かったです。

 その証拠に、彼らはアナロジーを非常に上手く使います。TAによる宿題の解説動画などを見ていると皆それぞれ秀逸な喩えを使って難しい概念を説明していて、聞いていると頭の中がクリアになります。類推ができるということは、その概念を適切に簡略化・抽象化できている証拠ですから、やはり見習わなければいけないポイントです。教科書に書かれているような厳密な論理が重要なことは疑いようもないですが、それが自分の持ち玉になっているか否かは大きな違いです。

 ただ、それが行き過ぎると、物事をあまりに単純視しすぎていたり、アナロジーが激しすぎて多少の間違いを孕んでいたりするのも事実です。また、大したことのない内容を雄弁にプレゼンしているのは、感心しても見れるし、滑稽にも見えます。大袈裟な例ですが、

This sophisticated machine learning algorithm makes the world a better place.

のような謳い文句は腐る程あるのです。その一方で、こうした流行に爆発的に乗るエネルギーがあるから、シリコンバレーのような場所が生まれるんだろうなとも思ったりします。

 結論としては、両輪をバランスよく回すことが大事だということです。僕にとっての収穫は、知識を実践に使うのは容易いことではなく、その能力をつけるのにもそれ相応の努力をしなくてはならないと気付けたことです。

 

 二学期にかけて授業を履修したので、さすがに授業形態にも慣れることができました。こちらの授業は、比較的高成績が取りやすいと思います。予習のリーディングや大量の宿題に追われる日々は大変ですが、裏を返せばテスト一発勝負ではなく、宿題やディスカッションへの貢献度などが合算されたスコアとして算出され、日々の努力が報われる形式になっています。それに、アメリカは在籍中も卒業後もGPAが非常に重要なので、たとえ単位を取得できたとしてもCやDでは悲劇の結末になります。日本は単位取得が基準である節がありますが、それとはそもそもゲームのルールが異なるという感じでしょうか。単に卒業要件を満たすだけはさほど難しくないですが、卒業後に苦労しないGPAを持って修了するためにはそれ相応の努力する必要があります。アメリカの大学は入学するのは簡単だが卒業するのが難しい、と言われる所以はここにあります。

 GPAをキープしなければいけないことと、興味のある専門外科目を履修したいというトレードオフの間に生まれたのが、Pass/No Passオプションです。これを選択すると、GPAに成績が反映されない合否の形で成績が返ってきます。今学期はコロナ禍を考慮して、専攻選択に必要な科目でもこのオプションを適用して楽に進めるようになったので、2年前にCSに進めずData Science専攻に落ち着いた友達は僻んでいました。ただ、もちろん好成績を取れる科目は成績評価を付けてもらった方が都合が良いので、オプション選択の期日直前は教授との駆け引きが繰り広げられました。

 僕のグループメンバーは悩んだ末にP/NPを選択したのですが、僕がグループレポートの結果Aが返ってきたことを知らせると、"I gotta write a 500 words persuasive essay." と言って交渉に挑んでいました。その結果がどうなったかは聞いていません。

 それぐらい、GPAへの執念は恐ろしいものがあります。だから、皆テストの直前はピリピリしており、図書館がいつにも増して混雑します。期末試験週間は"dead week"と呼ばれるのですが、メンタルヘルスクリニックの案内が大学からメールで送られてきたりして面白いです。

 また、アメリカ全土の幾つかに大学に、"Naked run"という奇妙な行事があります。Dead weekの図書館で、学生が裸になって叫びながら走り回るのです。勉強苦に対する息抜きというか反抗心の表れなのですが、男女問わず参加しているのですから驚きます。僕も秋学期は見物者の一人でしたが、今学期は参加しようと友達と約束していたので、数少ないアジア人参加者として名を残す機会を失ってしまいました。まあ、こういうことは口で言うのは簡単なので、直前になって逃げ出すというオチになっていたかもしれません。

 こういったカルチャーに多く触れられたことも、留学に来て良かった点だと思います。文化というのは考え方をある程度表象しているので、新たな気づきがたくさん得られます。言語も同じで、例えば"competitive"という単語が

  • 彼女は可愛いけど多分competitiveだよな。
  • 最近図書館の席がcompetitiveなんだよね。

といった日常会話レベルでカジュアルに使われることから、アメリカ社会に競争原理が染み付いていることを物語っていたりします。日本人男性は恋愛カーストでは最下位に位置するので、ナイトクラブに行くと自尊心を傷つけるだけに終わることがほとんどなのですが、文化体験という観点からは非常に価値があります。

 理系だと大学院留学の方が主流だと思いますが、学部生として来たことでこのような体験をたくさんできたのだと思います。院生として来ると、どうしても生活が研究室周りで完結してしまいますが、現地の学部生と混じってコースワークをこなすことで所謂「アメリカの大学生活」を体験できました。

 

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大学の目の前にあるBarにて

 そして、この大きなコミュニティの中で様々な学生に出会えたことが、この留学の中で得た最大の価値だったと思います。彼らから受けた刺激の多くは確実に今の自分に取り込まれています。

 学部レベルでの学生のレベルはまちまちで、一部神童のような天才たちに出会いますし、とんでもない金持ちもいますし、コミュニティカレッジから真面目に努力して来たような層もいます。

 コミュニティカレッジというのは、超格差社会の体質が剥き出しのまま学歴格差に反映されないようにする緩衝材でもあり、格差の現実の前にして平等を謳うアメリカの建前の一つ、とも言うべきでしょうか、公立の二年制大学のことで、そのうち成績優秀者の何パーセントかがBerkeleyのような四年制大学編入することができる制度を保持しています。こうした学生はコミカレ時代に必死に勉強して競争に勝って編入チケットを勝ち取っているため、向上心と勤勉さを兼ね備えている場合が多いです。しかし最近は学費の高騰もあって、安いコミカレを挟んでから編入し、奨学金と共に2年間で卒業するという選択肢も増えてきているらしいので、一部天才タイプの学生も混じっていたりします。

 このような編入生が正規入学生に加わり、さらに僕のような留学生の割合も大きいので、学生全体の学力レベルは非常にバラエティに富んでいます。基本的に卒業のために学生は必死に勉強をしますが、一部毎晩パーティーに明け暮れる学生もいたりします。僕の物凄く雑な印象だと、Berkeleyの学生を縦に並べて上から10分割すれば、東大の学生は2から5の間に密集して分布するのではないかと思います。あくまで偏差値的な学力の物差しで、学部生を測った場合の話ですが、中々いい線行っているのではないかと思います。海外の有名大学だととんでもない天才たちしかいないんじゃないかという漠然としたイメージがありましたが、それは高校生の僕が東大に抱いていたイメージと同じようなものでした。

 ただこれは一つ全く叶わないなと思ったのが、学生の質問力です。授業を受けていると、本当に活発に質問が飛び交います。中にはちゃんと話を聞いておけよと思うようなレベルの質問もありますが、大半は的を得ている質問で、教授を答えに詰まらせるようなものも少なくありません。先に書いた通り要点を掴む能力が高いのと、常に頭の中で反芻するクセが染み付いているのだと思います。

 これに加え、皆が突出した個性を持っていることも見習うべきポイントでした。それぞれが信念の元に自分の得意技を持ち合わせています。そんな中に身を置いたことで、自分を省みる機会を多く得ることができたと思います。

 以前のエントリにも書きましたが、この留学、そしてオンライン化に伴って、コミュニティとしての大学の価値を再認識しました。翻って、東大でもそのようなコミュニティの価値を生かすように過ごすことが、さらにこの留学の価値を高めることに繋がると思います。

 

最後に

 日本を出る際に購入した航空券によると、本来なら今日までBerkeleyにいる予定でした。コロナウイルスの世界的流行を鑑みると仕方がないですが、環境にも十分に慣れ切った最後の2ヶ月間はどんなに楽しかっただろうかと想像すると、とても残念な気持ちになります。夏にリサーチインターンも予定していたので、それができなかったことも残念です。実を言うと、帰国してから1ヶ月ぐらいは、Berkeleyで生活をしている夢を見て、目が覚めて自分の部屋の天井に現実に引き戻されるという経験を何度もしました。その度に少しだけ悲しい気持ちになります。

 もちろん日本は素晴らしい場所で、母国語が通じること以上にハイコンテクストなコミュニケーションができるし、友人も多いし、生活水準が極めて高いです。それ以上に、自分のアイデンティティが宿る場所なので、安心感が違います。しかし今は、それが若干の物足りなさを感じさせる瞬間が多々あります。Berkeleyにいたときは、野生動物がサバンナで常に神経を張っているような、そこまで言ってしまうと流石に大袈裟ですが、常に適度な緊張感と共にあった気がします。それは、真新しい環境の中にいたからでもあり、多様な人種の中で個人をアピールし続ける必要があったからです。

 日本で生まれ育ち、海外にはほとんど行ったことのなかった僕にとっては、この留学には学問以上の意味が含まれていたらしいです。一人でサンフランシスコ国際空港に降り立ったときの、不安なのか期待なのか形容し難いソワソワした気持ち。それが徐々に倦怠感に変わったのち、アメリカを愛せるようになれば別れを告げなければいけなくなってしまいました。滞在期間は7ヶ月半ほどでしたが、十分に愛すべき場所です。人生は縁の連続なので先のことは分からないですが、何かの機会に戻って来られたらと思います。

 最後に、国際交流課の方をはじめお世話になった方々、本当にありがとうございました。安全に、有意義な留学生活を送られたことはそういった支えのおかげだと思うので、感謝を忘れないようにしたいです。また、ここで得たことを他の人にも還元できるように努力していきます。

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僕は鼻先あたりにいます。

帰国

前回のエントリーに書いたときから変わらず、というよりも寧ろ状況は悪くなっていきました。留学生のほとんどは母国に旅立ちましたし、現地の学生も続々と実家に帰ってしまいました。あんなに活気に溢れていたキャンパスを、まさか誰ともすれ違わずに歩けるような状況になるとは予想もしていませんでした。

それでもオンライン授業は続くわけだし何とか平静を保とうとして勉強に励みますが、10分おきに四方八方から来るメールに集中できるはずもありませんでした。また、ハンズオン演習のオンライン形式は予想以上に難しく、2倍以上の時間がかかりどっと疲れました。時々刻々と変わる状況と、それでも続くオンライン授業の間を行ったり来たりすることに疲れ始めました。

そんな中、遂に恐れていたことが。

ルームメイトも、セメスター末まで実家に帰ることにしたと言ってきたのです。前日までは絶対残ると言っていたので、この発表には本当にびっくりさせられました。よりによって、何故ピザを食べている流れで言うのかと呆れました。

近すぎる存在故に鬱陶しく思うことはありましたが、思い返すと彼は心の支えになっていたのかもしれません。身の回りのことをよく教えてくれましたし、高速のスラングが飛び交う大人数の会話の中でも、彼だけはいつも僕にペースを合わせてくれました。言葉の壁など感じさせないぐらいに笑い合える間柄になったと確信した矢先に離れられてしまうのかと自覚した瞬間に、図らずも食堂で号泣してしまいました。

しかしながら、その決断は正しいと言うしかありません。それぐらいに状況は深刻になっていました。

翌日には、借りていた本を返しに図書館に足を運びましたが、どこにも人影は見えません。ラボミーティングがあるからといってラボにも行きましたが、同じ建物内に集まりながらも別々の部屋からzoomでミーティングを行うという、世紀末のような光景が広がっていました。この日に宣告が出されたそうですが、通常授業に加えて研究活動についても建物を閉鎖して極力遠隔で行うように指令が出されたのです。実験を行う最低限の人のみが建物に入ることを許可され、他の人は自宅でできることを行おうという方針です。もちろんそのリストに僕の名前はあるはずもないので、これで物理的にバークレーにいる意味はほぼゼロになってしまいました。研究室に通えるならこの場に残る価値はあると思っていたので、それを失ってはいよいよ帰国を真剣に考えなくてはいけません。

僕を快く受け入れ、研究の機会を与えてくださった先生に直接お礼を言えなかったことは非常に心残りです。今まで丁寧に指導をしてくれていたVictoriaに会うことは叶いましたが、彼女を目の前にすればまた涙が溢れてきました。研究のことはもちろん、それ以外の面でも様々なことを教わった気がします。彼女が心から研究を楽しんでいる姿を見て色々と考えさせられましたし、進路や方向性についても常に相談に乗ってくれました。彼女のように、これからは僕も人に何か影響を与えてあげられる人になりたい、そう思わせてくれる素晴らしいメンターでした。遠隔で続けていけると言えど、彼女の側でもっと色々なことを学びたかったという思いは拭えません。(写真を撮り忘れたことも心残りです)

そんな思いでキャンパスを後にしようとすると、今度はバークレー市全体にShelter in(つまり不必要な外出を控えろということ)の命令が出されました。人気のなくなった街では犯罪も起こりやすくなり、すぐ目の前でひったくりも見せられました。

寮の食堂も、中での食事は禁止され、パックに詰めたものを持ち出して食べる形式に変わっていました。決断と行動の速さは讃えるものがありますし、この状況でまだ食事を与えてもらえることへの感謝の念は抱きつつも、弱った心に追い討ちをかけられているようでした。

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ルームメイトと(行儀が悪い)

 

何とか活気を取り戻そうと眺めの良い部屋で食べたりしましたが、人気のない街を見るのは逆効果とも言えました。しんみりと食事をしながら人がいなくなった市内を見下ろせば、そこに選択の余地はありませんでした。むしろ、ここまで状況が悪くなったことで決断が楽になったかもしれません。こうして僕も、前日までの宣言を覆して帰国する者の一人になってしまったわけです。

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奥にはGolden Gate Bridgeも見えます


自分で言うのも変ですが、僕は感情の起伏が小さい方だ思います。それに、通常に過ごせたとしてもあと2ヶ月ほどで訪れる別れなので、ここまでショックを受けるとは、自分で自分に驚いています。

一つには、単純な悲しみと混乱によるものだと思います。人間の手の及ばないものによって、今まで流れていた平穏な幸せがあっという間に奪われてしまう。そのスピードに心がついていかないまま現実を受け止めるしかなく、思ったより打たれ弱いことを知りました。残りの留学期間での振る舞い方も固めて胸を弾ませていたところだったので、自分を納得させるまでにひどく時間がかかりました。

しかし、もう一方は自分に向いている感情かもしれません。悔しさとでも呼ぶべきでしょうか。

人間関係にしろ、勉強にしろ、今思えばやり残したことがたくさんあります。もっとこうしておけば良かったと言い出せばきりがありません。短い期間の日々を無駄のないように過ごせたかと言われれば、どうでしょう、自信を持ってyesとは言えないかもしれませんね。このことは初日に強く心に刻んだつもりでしたが、それを貫徹することは非常に難しかったです。

ただ逆に、自分が得たものに焦点を当てれば、本当に価値のある留学生活だったと思います。エキサイティングで、時にはクレイジーだと思う学生たちに囲まれた大学生活は、自分を省みる良いきっかけになりました。現地の学生と対等もしくはそれ以上に闘えている自分を見つけて、自信をつける。でもまた次の日になれば不甲斐ない自分に落ち込む。そんな日々は精神を疲弊させましたが、長い目で見れば自分を成長させてくれたように思います。

向こう見ずで飛び込んだ研究室生活も常に葛藤や劣等感、自分の未熟さを感じながらの日々でしたが、得られるものが多くありました。自分の世界を広げたいと思って神経科学の領域に踏み込んでみて、そこでしか得られなかった経験を元に自分を考え直すことができました。今はと言うと、改めて東大で専攻しているロボット制御の分野に軸足を置いて頑張りたいという気持ちでいます。ここでやってきたことが関係ないというよりはその逆で、今までの経験を繋げた結果そう思えているのだと思います。その上、人と同じことをしても新しいものは生まれないわけだし、だからこそ以前に想像していたのとは違う景色が見えているのかなとも思ったりします。ラボの先生ともこの前そんな会話ができて、

「君が機械工学の分野で進んでいくことを応援するけど、もし気が変わってこのラボに来たくなったら前向きに考えるし、そうでなくても強い推薦状を書いてあげるよ。」

と言ってくださいました。自分の中に多様性ができて良かったと思いますし、そんな価値観を皆が持っていて純粋に応援してくれるこの国のカルチャーは、日本には無くてとても好きなところです。

授業や研究自体もまだまだ続けていけるのは有り難いことなので、心は現地に置いてきたつもりで、残りの期間も集中しなければなりませんね。授業周りのことは、また今学期が終わった後に改めて振り返ろうと思います。

ちっぽけな自分には肩幅の大きすぎるアメリカでしたが、また何かの縁で戻ってこられればと思います。

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帰国

奨学金の関係で25日までアメリカに残った方が都合が良かったので、帰国を決めた3日後にバークレーを後にし、車で3時間ほど離れたルームメイトの家にお邪魔させてもらうことにしました。もう一緒にいても暇だなと思うぐらいに最後の時間を過ごせたことは非常に幸運だったと思います。いわゆる「アメリカの豪邸」という感じの家で、両親も優しく接してくれました。誰かにあげようと日本から持ってきていた扇子の存在を思い出しプレゼントすると、とても喜んでくれました。

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掲載の許可は頂いています

帰国当日のエピソードも少しだけ。その朝はレンタカーで空港まで来る予定だったのですが、一店舗目で日本の免許証が認められず危うく飛行機を逃すところでした。何とか二店舗目では認められ、ラッキーなことに粋な図らいでBMWに変更してもらえたので、最終日に爽快なドライブを楽しむことができました。閑散とした一本道は、この7カ月半の全てを思い出すだけの十分な時間を与えてくれました。

空港でも、授業のために持ち帰る予定だった電子部品が怪しまれて別室に連れて行かれるかもと言われたときは冷や汗をかきました。確かにバッグの中身がこんな感じであれば爆弾を持ち込んでいるのかと疑われてもおかしくありませんよね。5人の警備員に囲まれながらバッグの中身を全て出され、化学薬品の試験紙を使いながら念入りにチェックされている間は自分が犯罪を犯しているのではないかという気分になりましたが、無事に解放されて胸を撫で下ろしました。

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そんなトラブル続きで搭乗口に着いたのは2分前。そこから11時間のフライトを経て、無事に日本に帰ってくることができました。

政府の発表にあった通り、これから14日間は隔離生活を送らなくてはいけません。上野にあるホテルで孤独な生活をする予定なので、もし差し入れを持ってきていただけたら泣いて喜びます。そうでなくても、zoomでオンライン飲み会でもやりましょう。また、待機期間が終わって日本の状況も良くなったらご飯にも誘ってください。ここに書き切れなかったお土産話もしたいですし、逆に皆さんの話も聞きたいです!

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ここに2週間隔離か...


 

新型コロナウイルスの影響、そしてオンライン授業

先に断っておきますが、この記事は新型コロナウイルスについて誤った情報を拡散するものではありません。コロナウイルスによる影響の報告と、完全オンライン授業に切り替わった感想を書きたいと思います。

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バークレーに来て4ヶ月が経ちました。

 現在、所属している東京大学工学部の交換留学プログラムによって、カリフォルニア大学バークレー校に来て勉強をしています。東大での学科は機械情報工学科で、専攻は機械工学と情報工学ということになるのですが、こちらでは神経科学をメインに勉強しています。丁度昨日に期末試験が終わり、今日から冬休みに入ったところです。

 時が経つのは本当に早いもので、ついこの間空港に降り立ったと思えば、もう秋学期が過ぎ去ってしまいました。いやいや、とはいっても毎日に喰らいついていくのが必死で、振り返ろうと思えば既に今日になっていたという表現の方が正しいかもしれません。 

 やはり自分のためにも一度今学期を振り返っておくのは大事だと思い書き始めたところ、かなりの文章量になってしまいました。僕の文章能力がもう少し高ければ簡潔にできるのでしょうが、大目に見てください。

 授業の様子やそこで感じたことが伝わればいいと思って書いていますし、海外生活という観点からも、単に「価値観が変わった」「行動力がついた」などという量産型の言葉で括っては思考停止しているようにも受け取られかねないので、できる限り自分の言葉で書き記したいと思います。

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キャンパス訪問初日
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金閣寺

    ※三島由紀夫の小説「金閣寺」、黛敏郎作曲のオペラ「金閣寺」を鑑賞した後、京都の金閣寺を拝観する機会を得たので、そのときに感じたことを、エッセイにしました。

 

 

 

    雨上がりの金閣は、より一層輝いていました。

 池の中に佇む金閣はじっと形を変えず存在し、石の苔は長い歴史の体現者です。池は、その表情から空気の流れを感じさせ、金閣の壁面に波模様を映し出します。その光沢は時々刻々とニュアンスを変え、太陽にかかる雲の流れを忠実に反映します。

 永遠と刹那。

 砂利道を進んだ先に急に拓けて見える景色は、それらを同時に表象していました。完璧すぎるまでに均整が取れており、人間が入り込める余地など一つもないようです。美は、客観的に存在するものでしょうか。

 

 左手の甲に雨粒らしきものを感じたので目線を移すと、そのついでに他の観光客たちが視界に入ってきました。皆、思い思いに金閣を眺めているようです。ある人は、熱心にガイドブックの文章と照らし合わせています。自分が主役だと言わんばかりにポーズを取っている人もいました。誰一人として同じ金閣は存在しないのだと、月並みな考えが浮かんできました。人が必ず写真を撮ってしまうのも、実は意味のあることなのかもしれません。自分が写っていない風景写真ならネット上にいくらでも転がっているのに、何故人は自ら写真を取るのだろうかと不思議に思っていたのですが、自分なりの世界の切り取り方を残したいからなのでしょう。僕が金閣を眺めながら馳せる思いは誰にも再現できないように、視覚体験による世界の切り取り方も、自分だけのものですから。

 

 やはり、美は概念のようです。

 存在するのはただの無機的な物質であり、そこに有機性を見い出すのは人間です。自分の感じ方によって、世界は如何様にも捉え直すことができます。

 その意味でも、世界を変えるのは認識なのかもしれません。

 

 「この世界を変貌させるものは認識である。」

 

 これは、小説の中に登場する柏木という男が持っている思想です。柏木は、主人公の溝口と同じようにコンプレックスを持って生まれながらも、彼とは対照的な生き方を演じます。内飜足というコンプレックスを、視点を変えて認識することによって、自分に有利なように人生を逆転させているのです。劇中でも、柏木の台詞は自信に満ちて歌われます。

 認識は、自己の存在を認めることでもあるのでしょう。

 僕の知人も以前、自分という存在は自分と外界の境界線にある、と言っていました。彼女は少し違う意味で言ったのかもしれませんが、外界を認識することで自己を定義するという意味では、僕の考えと共通するのかもしれません。

 

 そんなことを考えながらゆっくり歩いていると、丁度、金閣の裏側に辿り着きました。最も近くに見える場所です。金箔の継ぎ目まで、はっきりと見ることができました。僕は音楽が好きで、素晴らしい音楽とは、全体の中に部分があって、部分の中に全体があるものだと思っているのですが、同じように、金閣にも部分性と全体性が共存しているようでした。全体を美しくする所以は各所に趣向が凝らされているからであり、ひとたび細部に目を移せばそれは調和をもって全体に支えられていることに気づくからです。

 そんな気づきを得て満足げになっていると、自分が金閣に近づいていくような気がしました。自分なりに認識すればするほど、自分と金閣が重なりを帯びてきます。

 しかし、すんでのところで手が届きません。ふと一歩引いてみると、金閣はまるで無表情でした。まじまじと眺める僕には目もくれず、気品高く佇んでいるようでした。それは丁度「不気味の谷」のようで、僕と金閣の距離は、認識の力によってある程度のところまでは縮まるのですが、それ以上を拒んできます。

 

 「世界を変貌させるのは行為なんだ。」

 

 こちらは、溝口が柏木に反抗する台詞です。そして、金閣を燃やすに至った思想でもあります。これは僕なりの解釈なのですが、溝口はこの言葉と共に、世界と真っ向から向き合うことを選んだのだと思っています。柏木の生き方は一見合理的で、とても打算的です。その証拠に、コンプレックスを物ともせず、器用に生きることに成功しています。しかし、自分の本質からは目を背けたのだとも見ることができます。溝口は、その生き方は選ばなかった。あるがままの自分と向き合って、不器用にも生きていくことを選んだのです。

 認識と行為。

 僕はやはり、溝口の生き方を支持したいと思います。

 認識するだけでは、自分の存在を確認することしかできません。自分の中で世界が完結してしまうからです。決して外界の方から応じてくれることはありません。僕が先ほど感じた金閣との隔絶は、ここにありました。

 自分が存在する意義を獲得しようと思ったら、自らが外界に働きかけ、影響を与える必要があります。それこそが、行為なのです。

 

 木の葉が目の前を横切り、水面に落ちました。綺麗な同心円の先には、一人の男がこちらを見ています。

 

 認識だけに徹するのは、楽なものです。外界に影響を及ぼさないということは、外界から批判されないことと表裏一体を成しています。自分の認識の檻の中で世界を構築できれば、それはそれで幸せでしょう。

 それでも僕は、青臭いかもしれませんが、自分がこの世界に生まれた意義を見い出したいと思うのです。生まれてしまったからには、価値のない人間のまま死んでしまうのは悔しいと言ったほうが、正しい表現かもしれません。

 

 認識と行為。

 

 これは、身近な事象にも照らし合わせられるでしょう。

 テレビでニュースを傍観するだけか、自らが行動の主となるか。先人の背を追う勉強をするだけか、その先に歩を進める研究、開発をするか。

 陳腐な例ではあれど、この文章を書いていることも、「行為」に当てはめているつもりです。金閣を見て、認識したことを自分の中だけに保存しておいても良かったのですが、文章として表現することで、外界に働きかけているつもりです。

 

 土産物には目もくれず、急ぎ足で帰ることにしました。風が肩を撫でた気がしたので振り返ると、木々の間から金閣が姿を覗かせます。その表情は先ほどより少し和らぎ、僕に微笑みかけてくれているようでした。

 

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テスト週間中に感じたモヤモヤ

 鬼のようなスケジュールのテストも残り二日。翌日の科目は、手書き資料の持ち込みが許されていたので、出題されそうな用語とその説明や公式を書き連ねていたのだが、不思議なほどペンが進まなかった。

 「俺、何でこんなことやってんだろう。」

 もちろん答えは単純で、その科目を碌に勉強していなかったために、点数を取るにはそれが一番効率的だからである。ただ、その時間が異様に苦痛だった。こんなに違和感と虚無感を感じたことは珍しかった。書く気力は失せ、ペンを置き、考えはさらに飛躍した。

 「何で勉強してんだろうな。」

 冒頭から矛盾するように思えるだろうが、僕は勉強が嫌いではない。新しいことを知れるのは楽しいし、本質を理解したと思える瞬間は不思議なほど愛おしいものである。(最近は、フーリエ変換の奥の深さに感動した。)加えて、将来は自分の専攻分野で研究職か開発職につきたいと思っているので、現時点での知識の乏しさとのギャップを埋めようというモチベーションもある。

 ただ、今の勉強の仕方が気に食わないのである。

 

 大学という場所に入って二年が経つが、人生という枠組みの中で勉強の意義を考えることは多くなった。それは学際的な風に吹かれたのもあるし、少しは社会を広く捉えられるようになったからでもある。または、上京したことで親からの自立を意識するようになったからか、逆に強く依存していることに気づいたからか。今までが考えなさすぎたぐらいだ。弊大学には「進振り」といって、二学年時の途中から学部を選択する制度があるのだが、それも良い契機となった。

 幸い、「何のために学ぶのか」という問いには一通り決着はついたし、それに伴って、いかに学ぶべきかということにも指針は立ったつもりだ。

 

 「平成史」と謳って時代を振り返る番組が増えたが、いつの時代も、社会は僕が思っているよりもずっと学問に支えられていた。専門的な知識を学ぶうちに、学術的な知見が社会を切り拓いていることにも、最前線で活躍する人は、真摯に学問と向き合っているということにも気づいてきた。

 そうした社会の中で、大学は本当の意味で学問を修めに行くための場所だと思っている。よくよく考えてみると、こんなに自由に学べる環境はない。現在の日本社会では、ある種就職予備校的な役割を果たしているが、結果的にそうであるかは別にして、就職のために行く場所という見解は絶対に誤りであると思う。

 僕自身、いずれは就職をするだろうが、その一部としてではなく、人生の中で自分を高めるための時期として捉えられるようになった。新たな価値を生み出すことと、既存の概念を踏襲する勉強というのは、その意味で全く異なるものではあるが、温故知新という言葉が指し示すように、二つは隣合わせだと信じている。

 だから、後の自分に生きるものとして、勉強をしたい。

 そして、勉強するときは「本質」を理解することが何よりも大事だと思う。

 あれだけ時間をかけた受験勉強科目でさえ大半は記憶の彼方に追いやられているが、基礎的に深く理解したことだけは残り、今の勉強の土台となっている。それを思うと、本質と呼べるものを多く自分の中に取り込めるかが重要事項である。

 少し話が逸れるが、僕は数学が苦手である。理論的な数学が苦手で、工学部に進学した部分もある。数学が道具の域を出ると、どうも僕の脳じゃ理解が追いつかなくなるらしい。それもあって、理工書を読むときにはもの凄く時間がかかる。数式での長い証明の後に簡潔な方程式が導かれたとしても、やれ納得とはいかず、その公式自体の示さんとする物理的な意味が分からないと納得して次に進めないのだ。直感的理解というか、「要はこういうこと」と自分で噛み砕いて説明できるようになるまで理解した気になれない。面倒な性格だと思う一方で、僕なりにはこれが本質を理解することだと認識している。工学部の人間としては専ら実空間の物理現象を扱うわけだし、こうして理解したことは、他の学問領域との関連性も見えてきて極めて汎用性が高い。

 こうした知を取り込むことこそが、僕にとっての「勉強」だ。

 

 少し長くなってしまった。本筋に戻そう。

 気に食わないのは、ここまで自分の中で整理できていながら、実際にはそれに反した行動をとっていることだ。

 なぜか。

 先に、「今の勉強の仕方が気に食わない」と書いた。まるで自分以外の何かに責任があるようである。だが、よくよく考えてみると誰からも強要などされていないことに気がつく。こうまでしないと単位が取れないような鬼畜な試験範囲を課されているわけでもない。

 そう、自分からこの状況を作り出しているのだ。

 そこにモヤモヤがある。ご立派な信条をお持ちになりながら、それを簡単に捨てている自己矛盾に腹が立つ。そこまでして、良い成績が取りたいか。そんな姑息な手段を取ってまで、たかが数点が欲しいのか。

 良い研究室に行きたいからか。

 その思いは多少なりともある。成績が研究室配属に影響するという話は聞く。希望する学部には進学できたものの、行きたい研究室に行けないのは相当辛いものがあるだろう。しかし今の感情は、「希望する研究室に行くために頑張って高い点数を取ろう」という類のポジティブなものとは異なる気がする。どちらかというと、ネガティブなものだ。

 他人は他人で、その人なりの勉強観を持っているため、「この科目は過去問暗記で点数が取れるから大丈夫」とか、「この範囲はテストに出ないから勉強しない」などという声を聞くが、そんな勉強に意味があるのだろうかと思ってしまったりする。

    しかし、それはその人なりの考えなのだ。僕だって、価値を見出せない科目は単位を取るだけの勉強にしてしまう。つまりそれは、僕の価値観に従って、僕が下した判断なのである。同じ構造が、相手の発言の裏にもあるはずだ。

    そしてそれは、友人が昨日何を食したのかと同じくらいに、自分には全く関係のない話なのだ。だから、否定をする気は一切無いし、資格もない。そもそも自分と比べること自体が間違っているのだ。その人はそういう考えをするのだと理解するだけで十分で、自分は自分の心の声に従えばいいだけだ。

 

     そう心から思えればいいのだが、執拗に気になってしまう。 それは恐怖心とさえ言えるかもしれない。周りなど気にせずに自分が正しいと思うやり方でやればいいのだ。自分に言い聞かせる。しかし、どこかで「怖い」と思ってしまう。周りが是とする基準の枠を超えて自分の価値観だけに従って動こうとするとき、不安を通り越して、恐怖感を覚えてしまう。

 つまり、僕はすっかり他者基準の中で生きていたのだ。いつしか、他人のものさしで測らないと、行動選択ができなくなってしまっていた。

 思い返すと、幼少期から色々なことを人並み以上にこなせたことが逆に、他者を過剰に意識するようになった原因かもしれない。はたまた、他人の基準に従って行動してきて、大きな失敗しなかったことが一役買っているのかもしれない。受験勉強なんかはその典型例で、他人に決められた基準以上の結果を出すことが求められる世界だ。

 他人に決められた基準に従って結果を出すことで他人から認められるというサイクル。それをこなすうちに、自分の意志というものがぼやけてしまった。

 

 「自分はこう思う、だからこうする。」

 「周りを周りなんだから、関係ない。」

  そこにいる自分でさえ、他者だった。

 

 

 今あるものに猛烈に没頭したいというのが僕のもう一つの悩みなのだが、よくよく考えてみると、この悩みと大いにリンクしていた。「没頭」とは、完全なる自己との対峙であり、他者から隔離された世界をイメージさせる。 

 この部分から変えていかないとな。

 今学期には、学科でおそらく僕以外の全ての生徒が履修したであろう「熱工学第一」という科目を履修しないという試みもした。履修することがマイナスになるとは思わなかったが、その選択は僕にとって価値があった。 

 だが、意識はできるが根本はなかなか変わらない。

 この話題を思い浮かべるとき、いつも、僕と対照的な知人のことが想起される。彼女のように、のびのびと生きてみたいものだ。

 

 そんなことを思いながら、僕の大学生活は半分を折り返そうとしていた。